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志村正彦の失恋から生まれたフジファブリック「茜色の夕日」

2018.12.24

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茜色の夕日眺めてたら
少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝
誰もいない道 歩いたこと

茜色の夕日眺めてたら
少し思い出すものがありました
君がただ横で笑っていたことや
どうしようもない悲しいこと


中学生時代に奥田民生のライブを見て衝撃を受け、奥田民生に憧れてミュージシャンになることを決意したフジファブリックの元ヴォーカリストで、生前フジファブリックの楽曲のほとんどを手がけていた志村正彦。
彼がミュージシャンになりたいと思ったきっかけのもう一つは、フラれた彼女に対しての満たされなかった想いというのを、なんとか遠回しにでも聞いてもらおう、そしていつかは見返してやろうという思いからだったという。

しかしフラれたあの娘に気づいて欲しいという情熱から歌詞を書き始めたものの、そんな情熱はそう長く続くものではなかった。故郷の富士吉田市から上京して、アルバイトをしながらユニコーンや奥田民生のコピーをする中、自分のオリジナリティを探る日々だった。
奇をてらった歌詞を書いてみたりもしたが、志村自身にとって全くリアルに感じられず、もがく日々だったようだ。
そんな中で志村にとって最もリアルな失恋から、衝動となって生まれた曲が「茜色の夕日」だ。志村のごく初期の作品であるが、フジファブリックの楽曲として発表されたのは2005年、志村が25歳の時である。
この曲について志村はこのように語っている。

自分の衝動をそのまま歌詞に刻めたということにおいては、この曲に勝るものはないです。僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはないですね。




それほどまでの彼女への思いが綴られているにもかかわらず、「愛している」とか「好きだ」という言葉は全く出てこない。そんな志村自身の心に忠実に描くリアルさが、聞く者の心に響くのではないだろうか。志村は、歌詞の中の自分と実際の自分との間に距離があると、メッセージとして響かないのではないかと常々思っていた。だから結婚もしないし彼女もいない、そういう楽しみよりも、歌詞に込めたメッセージに伴う自分でありたいと思っていたという。

日常の自分を、自分の歌詞にシンクロさせるという酷なことをしてますね。歌詞の世界に殉死してるわけです。

自身の中から生まれる音楽に対し、どこまでも正直であり続ける、それが志村正彦だった。

君に伝えた情熱は
呆れるほど情けないもので
笑うのをこらえているよ
後で少し虚しくなった
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ




志村正彦が突然この世を去ったのは、2009年12月24日だった。享年29歳、死因は不明のままだ。
年末のカウントダウン・ジャパン(CDJ)にフジファブリックの出演が決まっていた矢先のことだった。

そして、この年のCDJのステージで奥田民生は、突然アコースティック・ギターの弾き語りでフジファブリックの「茜色の夕日」を歌い出した。志村が尊敬し憧れた奥田民生が、途中声を詰まらせながら「茜色の夕日」を、観客の声に支えられながら歌いきったことは、きっと天国の志村にも届いていたであろう。



参考文献:「音楽とことば~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~」江森丈晃・編 P-Vine BOOKS

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