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平成の音楽の幕開けは「三宅裕司のいかすバンド天国」だった~玉石混淆と多様性

2019.04.27

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〈はじめに〉
平成元年,即ち1989年は個人的に修士2年になり,初めてパプアニューギニアに行って,7月から9月までフィールドワークをして帰国した。そこで得た血液サンプルを朝から晩まで(時々は真夜中も泊まり込みで)ラボで分析し,終わったのが12月24日であった。
パプアニューギニアで1ヶ月,電気もガスも水道もない村での長老の家に居候をして,一緒に暮らして感じたことは,文化や生活様式は全然違うけれども,喜び,悲しみ,怒りを感じることは同じだなあということだった。
世界中どこの人々もそれぞれ多様だし,その多様性は遺伝的生得的なものだけではなく、自然環境や社会環境によって形成されることを意味する。

2019年4月27日 中澤 港



ぼくにとって平成の音楽の幕開けは『三宅裕司のいかすバンド天国』(以下,イカ天)だった。
TV番組のイカ天はバブル景気の一方で,少子化と格差拡大がもたらす不安を感じながらも研究に没頭する日々の中で、週に一度だけ、そういった社会に関わる諸々のことをすべて忘れて、音楽に浸れる時間だった。

番組にはアマチュアのミュージシャンが毎週10組ずつ登場し、演奏する音楽は玉石混淆だったが,必ずしも売れることを目指してはいいなかった。
そのために、それまでに接していた音楽に比べると,ともかく多様だった。



高校生の頃に所属していたクラシック音楽愛好会というサークルには、現代音楽班というのがあった。
日本のマイナーなニューミュージックも、勝手に現代音楽であると称していたぼくは,RCサクセションとかYMOなどメジャーシーンも聴きつつも,ゲルニカ、ななきさとえ、暗黒大陸じゃがたら、PLASTICS、ヒカシューなど幅広く聴いていた。

クラシック音楽で現代音楽というと,今では20世紀後半以降のもの,例えばストラヴィンスキーとか武満徹以降の諸作品を指すのが普通だと思う。だがそのサークルでは近代のファリャとかドビュッシー、シベリウスも含めて良いことになっていたのだった。
その一方でぼくは民族音楽にも興味が出てきて、芸能山城組のバリ島のケチャやグルジア(現在ではジョージア)地方の民謡の手ほどきを受けに行ったりもしていた。

だがイカ天で出会ったアマチュアミュージシャンの多様性は,ある意味それらを超えていたのではないか。
番組としては個性的で辛口の審査員を用意し,その前でバンドが演奏していくというシステムで、それ自体はありきたりのものった。
しかしそれ以上は聴きたくないという審査員が増えると、演奏している映像が小さくなっていくというワイプシステムにより,3分間消えずに残れば「完奏」として賞賛される仕組みが面白かった。
その上で審査員の合議によって毎回1組、イカ天キングが認定されていく。

そして新しいキングが決まると、最後に前回のキングと対戦して勝者を決める。
5週勝ち抜きでグランドイカ天キングとして「上がる」という仕組みは、よくできていたと思う。



それでもキングを目指す真面目なバンドだけではなく,完奏さえ目指していない変わったバンドがたくさん出てきた。
しかも彼らの演奏に寄せられる審査員のコメントが、愛に溢れていて秀逸だったと思う。

初代キングは,大人数なので米米CLUBみたいな雰囲気だが、女性3人のボーカルが魅力的なSLUT AND SLASH BAND。「お前を許さない」は格好いい曲だった。

二代目キングの正統派ロックバンドだったGEN。「気取ってんじゃねえよ」はブルーハーツや尾崎豊みたいな、昭和っぽいロックだったが好きだった。

三代目キングとなったFLYING KIDSの曲は凄かった。ジャンルとしてはファンクロックというのだろうか。
彼らは後に初代グランドキングになったが,「我想うゆえに我あり」や「幸せであるように」は,明らかに昭和のロックとは違っていた。
あからさまな社会への反発や怒りではなく,もっと強かな,地に足の着いたメッセージ性をもっていたのだ。

ボーカル浜崎貴司の声の良さも相俟って毎週の挑戦者の追随を許さず,5回勝ち抜いてグランドキングとなった後に、メジャーデビューして成功したのも当然だったと思う。



メジャーデビューしてから出た「風の吹き抜ける場所へ」、「とまどいの時を越えて」、「木馬(あたたかな君と僕)」、「大きくなったら」も,ほどよく力が抜けたファンクさが魅力的な曲だった。
彼らは1998年にいったん解散したが,若干メンバーが変わって再結成され,最近もライブをやっている。
また浜崎貴司がGACHIと称して、田島貴男やスガシカオらと全国各地を回って続けている対バンライブも魅力的だ。

2018年に大阪のライブハウスで久々に聴いたFLYING KIDSは、30年の時を経て熟成したグルーヴを紡ぎ出していて良かった。浜崎貴司はGENのボーカルだった源学との交流を続けていたり,渋谷系の代表のような小沢健二とも仲が良かったりと,おそらく平成の音楽史を語るとしたらキーマンの一人だと言えるだろう。

イカ天には,他にもいくつか強烈に印象に残っているバンドが出ていた。
二代目グランドイカ天キングとなった,たまも凄いバンドだった。


たまの「さよなら人類」は,『2001年宇宙の旅』や『猿の惑星』や『さよならジュピター』のような、SF映画へのオマージュのパッチワークみたいな作品である。
また映画ばかりでなく,「夜空にハシゴ」はボブディランへのオマージュだと後に明かされている。
たまの作品には,おそらく終末へと向かう漠然とした不安が、背景にあったのではないか。そうした不安感はその後の音楽シーンに現れたチャットモンチーの「世界が終わる夜に」とか,Aikoの「キラキラ」とか,相対性理論の「四角革命」にも影響を与えたのではないかと思う。

しかし,個人的には「らんちう」「ロシヤのパン」など、ギター&ボーカルの知久寿焼の作品に新しさを感じていた。
知久とパーカッション&ボーカルの石川浩司は,たま解散後にパスカルズでも活動しているが,いわゆるエコロジー系の人と仲が良いようだ。
サヨコオトナラとは若干方向性が違うようだが。辺野古の海を守ろうという活動にも関わっている。

イカ天で沖縄といえばBEGINを思い出す人が多いだろうし,ぼくも比嘉栄昇は天才ボーカルだと思うし,「恋しくて」「島人ぬ宝」みたいな美しい曲だけでなく,「OKINAWAN SHOUT」みたいな、どこまでもポジティブでアップテンポな曲も含めて大好きなバンドだ。
それ以上に衝撃的だったのが寿だった。「金網の向こうは何だろうな」という,うちなーの若者の実感に根ざした曲は,プロテストソングというカテゴリからもややはみ出した凄い曲だった。彼らも今でも活動していて,海外のフェスで演奏したりもしている。(LIVE CDが通販で買える)

ただし、理由はわからないが,こうした政治的メッセージ性が強い曲はヒットしないというのが、平成という時代だったように思う。
音楽的に素晴らしくても、ヒット曲にはならない。けれども長く音楽を続けているバンドは他にもあって,高校生でありながら全編英語詞で,演奏技術もメチャクチャに高かったLittle Creaturesの衝撃は今でも覚えている。

江戸川乱歩や芥川龍之介風の文芸的な歌詞に、パンクかヘビメタの曲を付けて演奏していた人間椅子なども印象深い。
彼らは21世紀に入ってからも現役で活躍し続けて、テレビの主題歌を手がけるなどで注目されている。

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