TAP the SONG

鈴木茂のギターで記念碑的な名曲となった、はっぴいえんど「12月の雨の日」

2016.05.13

Pocket
LINEで送る

「12月の雨の日」は作詞・松本隆、作曲・大瀧詠一、その後の日本の音楽シーンに一時代を築いていく二人の表現者が、まだ20歳を過ぎたばかりの若かりし頃、出会い頭に誕生した名曲だ。

ファースト・アルバム『はっぴいえんど』のB面2曲目に収録されて1970年8月5日に発表されたが、バンドにとっては記念碑的な作品となった。

12月の雨の日に、東京の街並みと人波を見ている若者の視線は、そのまま微熱少年の松本隆のまなざしでもある。
師走の慌ただしい都会の風景から半歩引いて、モノクロームのような感じで描くスケッチは、セカンド・アルバム「風街ろまん」にもつながっている。

風街ろまん

細野晴臣と松本隆が参加していたエイプリル・フールが解散することになったのは1969年の9月で、そこに大滝詠一が加わって「ばれんたいん・ぶるう」という名前で活動し始めてすぐに、原曲となる「雨上がり」が生まれた。

高校生ながらギターの腕前が評判だった鈴木茂に、細野晴臣から電話がかかってきたは10月に入ったある日のことだ。

もう既に三人で曲をある程度作っていて、そこにリード・ギタリストが欲しいということだったんだ。
それで細野さんと一緒に松本さんの家まで行った。
たしか大滝さんはそこにはいなかったんじゃないかな? 
そこで細野さんが大滝さんの作った曲「12月の雨の日」をフォーク・ギターで弾いて聴かせてくれた。
「さあ、これに合わせてギターを弾いてくれ」
ということで、持参していったエルクのギターでアンプを通さない生音だけど、ぼくは即興でイントロのフレーズをひいた。
それを気にいってもらえて、一緒にやろうということになった。


その頃の細野晴臣は新しい日本語のロックを、バンドで一緒になって作ろうとしていた。
だから新メンバーとなった大滝詠一の作曲した曲も、フォーク・ギターで弾くことが出来たのだった。

当時はまだミュージシャンたちの間で、日本語で歌うべきか英語で歌うべきかという方法論が対立していた。
だが、ばれんたいん・ぶるうでは松本隆の書いた日本語の歌詞で、新しい日本のロックをやっていくという方針が明快だった。
細野晴臣と松本隆は、大滝詠一を誘って日本語による斬新なロックを作り出そうと意気込んでいた。

「12月の雨の日」のイントロはAm7→C・G→D→Dというコード進行で、それまで誰も聴いたことがない不思議なものだ。
最初の2小節はキーがCメジャーだが、続くDの2小節はワンコードでキーがDメジャーに移調している。
そして1番のAメロに入るとキーがEマイナーになり、さらにBメロからはDメジャーに移行する。

変なというか、普通でないというか、とても一筋縄ではいかない独特の曲作りがなされていた。

この曲は五度がマイナーになるという普通のダイアトニック・スケールとは違うひねったコード進行だったんだけど、僕はクリームやジミ・ヘンドリックス気取りのロックな気持ちで弾いていた。
細野さんはアメリカン・ミュージックの人だったから、ぼくの弾くギターを聞いて微妙なミスマッチの面白さを感じたんじゃないかな。もしぼくではなくもっと細野さんや大滝さんに音楽的背景の近い人が弾いたら、「12月の雨の日」はまた違う印象の曲になっていたかもしれないね。


細野晴臣によれば、「バファロースプリングフィールドとかニール・ヤングももそういうコード進行を使ったから、DからAmに行くというのが新鮮だったんです‥」ということだった。
ただしそれをそのままいただくのではなく、逆にAmからDへ行く方法を編み出して作った曲なのだ。

だから変なコード進行だったのだが、そのことになんの躊躇もなく、インスピレーションのまま即興でリードギターのフレーズ弾いて、歌に入ってからも的確なブルースのオブリガードをつけていった鈴木茂は、まさに天才ギタリストだった。

「不思議と最初からあのフレーズが出てきたんですね。なぜか、なんか自然に出てきたんですよね」


いわばギタリストのオーディションとなったその日、鈴木茂は何も考えることなく自然体で弾いて一発で合格した。
細野晴臣からはその場で、「もうこのまんまレコーディングできるな」と言われて、「じゃあ君、入りなさい」ということになった。

こうして4人のメンバーが揃ったことで、はっぴいえんどが誕生することになる。
才能と才能が必然的に結びついて、その瞬間に革新的で新しい音楽が誕生するという、音楽をめぐる奇跡的な物語の典型的な例だ。

ゆでめん裏
とは言えまだ高校生だった鈴木茂がそのとき、簡単にバンド入りを引き受けたわけではなかった。
中学生で初めてエレキギターを手に入れた時から、ギタリストを職業にするつもりでいたのだから、迷ったわけではない。
しかし大学に進学するつもりでいたし、進路について慎重に考えるのは当然だった。

だが天才ギタリストに出会った細野晴臣は、「ぜったいに日本でやったことのないことをやって、ナンバー・ワンになる」と、メンバー入りを説得した。

10月28日、お茶の水/全電通会館ホールで開かれた日大闘争救援会主催『ロックはバリケードをめざす』に、遠藤賢司、早川義夫、ブラインド・レモン・ジェファーソン他とともに「ヴァレンタイン・ブルー」が出演した。
このときのメンバーはもう細野晴臣(b, vo)、松本隆(ds)、大瀧詠一(g, vo)、鈴木茂(g)の4人になっていた。

鈴木茂ゆでめん

「12月の雨の日」は翌年に出たアルバム『はっぴいえんど』に収められた後、1971年の4月1日にも新たなレコーディングによるシングル・ヴァージョンがリリースされた。

アコースティック・ギターが重ねられたサウンドは、ナイアガラにもつながる厚みを感じさせるものとなった。
そこでは楽曲がぐっと洗練されて音像もクリアで、声が軽く鼻にかかった大滝詠一のクルーン唱法も、すっかり板についてきた。

シャウトするのがロックと思われていた時代に、鈴木茂のファズを効かせたエレキギターで、鼻歌風にロックを歌ったはっぴいえんどは何とも画期的だった。



(注)文中の鈴木茂の発言はすべて「自伝 鈴木茂のワインディング・ロード はっぴいえんど、BAND WAGON それから」( リットーミュージック) からの引用です。




鈴木茂『自伝 鈴木茂のワインディング・ロード はっぴいえんど、BAND WAGONそれから』(書籍)
リットーミュージック


Pocket
LINEで送る

スポンサーリンク

関連アーティスト

関連するコラム

[TAP the SONG]の最新コラム

このコラムへの感想・コメントを書く

Pagetop ↑