「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the SONG

ちあきなおみのヴォーカルと服部隆之のアレンジによってよみがえった「黄昏のビギン」

2019.01.12

Pocket
LINEで送る

「黄昏のビギン」の作詞者としてクレジットされている永六輔が、「実はあの歌、八大さんがつくったんです、作詞も、作曲も」と意外な発言を口にしたのは2012年のことだった。

雑誌『中央公論』の企画で昭和の歌謡曲について、永さんと対談させていただくことになったときのことだった。
永さんはお会いしてすぐに冒頭に、一気にたたみかけるようにこう仰った後でニッコリ笑った。

僕じゃないんです。でも八大さんが「君にしておくね」って言って。
八大さんとは早稲田大学の先輩後輩の関係でしょ。だからあの人には反対したりできないんです。
何か言われたら、全部「はい」って。
それで八大さんは、自分で作詞・作曲をしたから、あれが一番好きなの。
だから、「いい歌ですね」なんて言われて、いろいろな人が歌っているんですが、そばに行って「これは僕じゃないんです」って言わないと肩身が狭いというか。
(永六輔著「大晩年老いも病いも笑い飛ばす!」中央公論新社)


「黄昏のビギン」は当初、1959年に制定された第1回レコード大賞を受賞した「黒い花びら」に続く、水原弘のセカンド・シングル「黒い落葉」のB面曲として世に出た。
しかしそれほどのヒットにならなかったレコードのB面だったので、当然のように時の流れとともに少しづつ忘れられていった。
ただし、夜の巷で働く人たち水商売系の人や、歌が好きな大人たちの間では、”いい歌”だという声も多かったらしい。
1959年の秋から60年代にかけて、もうはるか遠い昔の話だ。

その後も盛り場の流しがレパートリーにするなどして、東京の繁華街などではかろうじてだが、歌い継がれていたという。

それから約30年もの歳月が過ぎた1991年、すっかり忘れられた「黄昏のビギン」に新たなる生命を吹き込むシンガーが現れる。
自分がほんとうに好きな歌を、マイペースでレコーディングしていたちあきなおみだった。


アルバム『すたんだーど・なんばー』の1曲目でカヴァーされた「黄昏のビギン」は、海外のスタンダード・ソングを思わせる流麗なメロディーと、シンプルながらも上品で温かみのあるストリングスによるサウンドがとても斬新だった。

作曲者の中村八大が手放しでほめたほど素晴らしいアレンジは、昭和の歌謡曲の父とも言える作曲家の服部良一を祖父に持つ若き音楽家、服部隆之によるものだった。
憂いと気品を感じさせるちあきなおみのヴォーカルによって、「黄昏のビギン」はここから日本を代表するスタンダード・ソングとして蘇ってていくのである。

ただし前評判が良かったことで発売されたシングル盤は、どういうわけかその時はヒットにまで至らなかった。
その翌年、夫でプロデューサーでもあった元俳優の郷(瀬川)鍈治が亡くなったことをきっかけに、ちあきなおみは喪に服したまま、音楽シーンから姿を消して戻ってこなかった。

永六輔 スタンダード

こうしてまたもや埋もれてしまうかに見えた「黄昏のビギン」だったが、21世紀を迎える前後になってあらためて発見されていく。
ちあきなおみの「黄昏のビギン」が再びCM音楽に使われて、それを聴いた人たちの間で”いい歌だ”という声が広まったのだ。

その一方では忽然と消えてしまった伝説の歌姫、ちあきなおみを求める声が次第に高まっていった。
その歌声がやがて、”絶品”とまで讃えられるようになるにつれて、「黄昏のビギン」はちあきなおみの代表曲になったのである。

時を同じくして歌唱力や表現力に自信のあるシンガーたちが、「黄昏のビギン」を続々とカヴァーを発表し始めた。

木村充揮 、石川さゆり、さだまさし、中森明菜 天童よしみ、アン・サリー、長谷川きよし、和幸(加藤和彦、坂崎幸之助)、氷川きよし、稲垣潤一、岩崎宏美、鈴木雅with 鈴木聖美、小野リサ、渋さ知らズ(ヴォーカルSandii)、河口恭吾、秋元順子、セルジオ・メンデス(ヴォーカルsumire)、薬師丸ひろ子、大竹しのぶと山崎まさよし、井上陽水、柴咲コウ……。

ブルースや演歌、フォーク、ソウル、ボサノバ、ジャズといったジャンルを超えて、自然発生的に起こった「黄昏のビギン」の静かなブームは、今日もなお続いている。



ところで冒頭に紹介した永さんの発言は、作曲した中村八大も「黄昏のビギン」の詞には大きく関与していたことを、明らかにしたものだった。

この曲は1959年夏に公開された映画『檻の中の野郎たち』の挿入歌として作られた、そもそもは1コーラスだけの短い歌だった。
映画ではロカビリーブームの人気歌手、ミッキーカーチスと山下敬二郎、守屋浩によって歌われたが、公開時には題名も付けられていなかった。

それを中村八大が水原弘のためにレコードにする時、アレンジに手を加えると同時に自分で幻想的なタッチの歌詞に改めたという。

その作業を中村八大が単独で行なったために、「実はあの歌、八大さんがつくったんです、作詞も、作曲も」という永さんの発言につながっていたのだ。

しかし最初に出たシングル盤のジャケットを注意深く見れば、作詞は永六輔と中村八大との連名でクレジットされていた。

中村八大は代表作の「上を向いて歩こう」や「遠くへ行きたい」でも、作曲と編曲を手がけただけでなくプロデューサーであった。
したがって作詞家の永六輔とのいわゆる六・八コンビの歌作りは、普通の作詞家と作曲家による分業システムではなく、どちらかといえば初期のジョン・レノン&ポール・マッカートニーのように、相互にやりとりを行って完成させるソングライティングだったようだ。

このコンビの歌が日本の音楽シーンを大きくかえたのは、そんなところにも大事な要因があったのである。


(注)2016年12月8日に公開したタイトルの一部を変更しました。

ちあきなおみ『ちあきなおみ 全曲集 ~黄昏のビギン~』
テイチクエンタテインメント

『「黄昏のビギン」の物語: 奇跡のジャパニーズ・スタンダードはいかにして生まれたか』(新書)
小学館

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the SONG]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ