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ヨーロッパでもアフリカでも歌われていた中村八大と永六輔のつくった「遠くへ行きたい」

2016.05.06

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日本テレビ系列で1970年から放送されている長寿番組が『遠くへ行きたい』、そのテーマソングとして今でも使われているのが「遠くへ行きたい」である。

NHKの音楽バラエティ『夢であいましょう』の「今月の歌」として、1962年に書き下ろされた時にオリジナルを歌ったのはジェリー藤尾だった。

それ以来、デューク・エイセス、渥美清、小林旭、上條恒彦、石川さゆり、さだまさし、元ちとせ、森山良子など、実に様々な歌手たちに歌い継がれてきたスタンダード・ナンバーだ。
ところでジェリー藤尾は最初のレコーディングについて、シンプルであるがゆえに歌詞を理解して歌うのが難しかったという。

たしか「遠くへ行きたい」の時のレコーディングは、夜の七時から始まって、終わったのが朝の五時だったという覚えがありますね。
この曲、全部で4分ぐらいあるわけですよ。それを途中でちょっとはずしたら、もう一回、最初からやり直しですからね。
同時録音でしたしね。自分ではうまくいったと思っても、「はい、もう一回お願いします」ですからね。




それからずいぶん時が経ってだが、ジェリーは作曲した中村八大に一通の手紙を見せてもらったことがある。
アフリカのアルジェリアに単身赴任している商社マンから届いた文面には、意外なことが書かれてあった。

たまたま入ったバーで、懐かしい日本の歌を聞きました。
その曲は「遠くへ行きたい」でした。
東欧系の女性のピアノの弾き語りで歌われたこの曲を聞いて、涙が出てとまりませんでした。
聞けば、ソ連を始めとした東欧諸国で大変に人気がある歌なのだそうです。


「遠くへ行きたい」は「上を向いて歩こう」に続いて、1962年にヨーロッパの国々でレコードが発売になった。
それが“鉄のカーテン”を飛び越えて、ソ連や東欧諸国でも親しまれていたという。

日本に来た駐在員によってザ・ピーナッツの「恋のバカンス」が、国交のなかったソ連で大ヒットしていたように、誰かが抒情性のあるメロディに惹かれて、東欧諸国にレコードを持ち込んだのかもしれない。

<参照コラム・ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」が、ロシアで大ヒットしてスタンダードになった

そんな「遠くへ行きたい」のメロディは、中村八大が新宿で飲んだ後で自宅に帰る車中、ふと浮かんだものだった。

同じ時期に九州を旅行していた永六輔は、自信のある歌詞を書き上げて中村八大に送ってきた。
そこには人と人との出会いと別れをテーマにした40行にも及ぶ、長くて素晴らしい詞が書かれていた。

しかし中村八大が書いた曲はゆったりとした曲調だったので、どうしても少ない言葉しか乗らなかった。

40行のうちで使われたのは「知らない街を 歩いてみたい どこか遠くへ行きたい」という歌い出しなど、ごくわずかな部分だけになってしまった。

それを知って永六輔は怒ったが、中村八大と話し合ってから納得してくれたという。
この時のことを中村八大が、このように振り返っている。

見て読むだけの詞なら四十行は絶対に要るけど、メロディーがついて、さらに歌手が歌った場合はイメージも倍々になる。
だから詞は八分の一でいいんじゃないかというふうに話して、彼もまたそれを理解してくれて、あの歌ができた。
(『ぼく達はこの星で出会った』中村八大著、永六輔、黒柳徹子編)


歌詞の持つ想いやメッセージを聞き手に伝えるには、少ない言葉からイメージを膨らませてもらったが効果的な場合もある。

「遠くへ行きたい」は完成から7年以上が過ぎた後に、永六輔が旅をする番組『六輔さすらいの旅~遠くへ行きたい』のテーマソングに採用されて現在に至っている。


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