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「群青色の朝」と「鈍色の雨」という言葉で始まった日本語のロック~はちみつぱい「塀の上で」

2024.11.02

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2000年夏、「5人で歌う、5人の“ビューティフル・ソングス”」というキャッチコピーがついたコンサート、「Beautiful Songs(ビューティフル・ソングス)」が開催された。

それぞれの活動の中で信頼関係を育んできた5人、大貫妙子、奥田民生、鈴木慶一、宮沢和史、矢野顕子による全国7都市を回ったツアーは大好評で、2003年の3月から4月にかけて再びスペシャル・ライブが行われた。

そのコンサートで全員が歌うハイライト・シーンに歌われたのが、はちみつぱい時代の鈴木慶一が書いた楽曲「塀の上で」だった。

矢野顕子が言った次のひとことは、今でも鮮やかな印象となって残っている。

「『センチメンタル通り』がある限り、日本の音楽は大丈夫!」


はちみつぱいのファースト・アルバム『センチメンタル通り』は1973年10月25日に発売された。今では“日本語のロック”を切り拓いた不屈の名盤と言われているアルバムで、1曲目を飾ったのが「塀の上で」だった。

A面
1.塀の上で
2.土手の向こうに
3.ぼくの倖せ
4.薬屋さん

B面
1.釣り糸
2.ヒッチハイク
3.月夜のドライブ
4.センチメンタル通り
5.夜は静か通り静か」

はちみつぱいは、ザ・バンドやグレイトフル・デッドに影響を受けていたロックバンドで、リーダーの鈴木慶一による日本語のロックは、先輩格のはっぴいえんどと並んで、当時としては最も先駆的なものだった。

歌いだしの「群青色の朝」と「鈍色の雨」という言葉の使い方には、それまでの歌謡曲には使われたことがない、日本語の新しい表現だと思わせるものがあった。

スローでゆったりとしたビートで歌われる鈴木慶一のヴォーカルには、どこか浮遊するようでいて、沈鬱な感覚がある。

「鈍色(にび)色」「こびりついた」「牛乳瓶(びん)」と、「び」の音韻を繰り返してビートを作り上げていった非凡な才能には驚かされた。はっぴいえんどの松本隆とは異なるアプローチで、鈴木慶一はロックにおける日本語の使い方を編み出したのだった。

落ち着きとともに不安な表情をのぞかせながら、恋人に去られてしまった男の心象風景が、「若さ」「馬鹿さ」「するさ」と、今度は「さ」の音韻を使って描き出されていく。

1コーラスが終わっても歌われているシチュエーションがいまひとつ理解し難い歌詞は、2コーラスに入ってしばらくすると、一瞬にしてリアルな物語になる。それも劇的に、だった。

「ヒールが七糎のブーツを履いて」自分を捨てて出て行った恋人は、羽田から飛行機でロンドンへお嫁に行ってしまう。

鈍色の雨が降る羽田の町に置き去りにされた主人公は、孤独に突き落とされたまま、悲痛さを抱え込んで塀の上で雨に流れるしかない。

結成時から流動的だったはちみつぱいのメンバーだが、唯一のオリジナル・アルバムを作ったときのメンバーは鈴木慶一(ヴォーカル、ギター、ピアノ)、本多信介(ギター)、武川雅寛(ヴァイオリン)、和田博巳(ベース)、かしぶち哲郎(ドラムス)、駒沢裕城(ペダルスティール)だった。

しかし『センチメンタル通り』から1年後、はちみつぱいは1974年11月に解散して、ムーンライダーズへと変わっていく。

その解散コンサートの最後に、「それでは、また、いつか、どこかでお会いしましょう」という鈴木慶一の言葉とともに演奏されたのも、「塀の上で」だった。

塀の上で~はちみつぱい(1972年 東京草月会館)


<はちみつぱいの歩み>

1970年、鈴木慶一は、あがた森魚らと共にあがた精神病院を結成。後にあがた森魚と蜂蜜麺麭(はちみつぱい)と名前を変えて、あがた森魚のサポートを中心に活動を行っていた。

1971年からは蜂蜜ぱいと名乗り、独立したロックバンドとしての活動を行うようになる。渋谷百軒店のライブハウスであるBYGへの出演を活動の中心に、岡林信康やあがた森魚、西岡恭蔵などのアルバムのレコーディングに参加した。

1971年8月、鈴木慶一、渡辺勝、本多信介の3名で、第3回全日本フォークジャンボリーに出演。これをきっかけに和田博巳が加入。1971年秋頃にはセッションを通じて武川雅寛が、オーディションにより、かしぶち哲郎が加入。1972年春頃、表記を“はちみつぱい”に改めた。

1972年9月、渡辺勝が脱退し、これに入れ替わる形でペダルスティールの駒沢裕城が加入。ヴァイオリンの武川と共に、はちみつぱいのサウンドを独特なものとした。

1973年10月、キング・ベルウッドより、ファーストアルバム『センチメンタル通り』を発売し、1974年5月にはシングル『君と旅行鞄(トランク)』を発売する。しかし1974年11月20日、山野ホールでのコンサートを最後に解散。

1988年6月9日、汐留PITにて1日限りの再結成コンサートを開催。ゲストにはあがた森魚、斉藤哲夫、高田渡らが出演し、はちみつぱいをバックに歌った。

2015年12月、鈴木慶一音楽活動45周年公演に出演するために、メンバーが集結。はちみつぱい名義で、27年ぶりにライヴを行なった。この邂逅をきっかけに、結成45周年の今年は大阪と東京でライヴを行なう予定。

*故・かしぶち哲郎の長男である橿渕太久磨と、ムーンライダーズのサポートドラマーとして、かしぶち哲郎の薫陶を受けた夏秋文尚がツインドラムで参加。


はちみつぱい『センチメンタル通り』

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