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ローウェル・ジョージ在籍時のリトル・フィートによる最初で最後の来日公演

2024.06.27

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リトル・フィートが1978年2月10日にリリースした2枚組のライヴ・アルバム『ウェイティング・フォー・コロンブス』は、彼らに初のゴールド・ディスクをもたらすヒット作となった。(詳しくはこちらのコラムへ

その演奏を生で聴こうと集まったファンたちによって、コンサートは各地で大盛況となり、6月に全米ツアーを終えると彼らは勢いそのままに初来日を果たす。

腕利きのスタジオ・ミュージシャンでもあったリトル・フィートは、少なからず日本との縁があった。

1972年にはLAに来ていたはっぴいえんどのレコーディングに、ローウェル・ジョージとビル・ペインがヴァン・ダイク・パークスらとともに参加。

75年には鈴木茂のソロデビュー・アルバム『BAND WAGON』にビルが参加。そして76年には矢野顕子のデビュー・アルバム『JAPANESE GIRL』にフルメンバーで参加している。

中でも矢野顕子の才能には驚かされたようで、来日時のインタビューではローウェル自ら矢野顕子の話題を切り出し、「昨日彼女の新しいアルバムのテープ(筆者注:『ト・キ・メ・キ』だと思われる)を聞かせてもらったら、ウェザー・リポートみたいな、びっくりするようなサウンドだった」という発言をしている。

『HAPPY END』『BAND WAGON』『JAPANESE GIRL』の3枚はいずれも日本の音楽シーンに多大な影響を及ぼした作品であり、それら全てに参加していたリトル・フィートの名は日本のロック・ファンの間でも徐々に知れ渡っていくのだった。


初来日ツアーは、7月1日から東京、大阪、名古屋の3ヶ所でおよそ1週間かけて開催された。

当初は3月に来日するはずだったのが、ローウェルの体調不良により延期されたという経緯もあって、ファンはローウェルの健康状態を心配していた。

ステージに現れたローウェルの体型はかなり太っていたが、それでも演奏が始まると持ち前のスライドギターが健在であることを証明してみせる。ある日には、アンコールで矢野顕子がゲスト出演するというサプライズもあった。

リトル・フィートのライブにおける醍醐味の一つが、変幻自在なジャム・セッションとアドリブだ。1975年頃からローウェルは薬物の影響でスタジオに遅刻、あるいは来ないということが度々起きるようになり、他のメンバーはローウェルを待つ間ジャム・セッションをして時間を潰していたという。

なかなかレコーディングが進めることができない、そんな無駄とも言える時間が、実はリトル・フィートを世界屈指のライヴ・バンドへと押し上げていくのだった。

一番脂の乗った状態で初来日公演を大成功させたリトル・フィートだが、彼らが同じメンバーで再び来日を果たすことはなかった。

バンドのリーダー的存在だったローウェル・ジョージが、翌1979年の6月29日にオーバードーズでこの世を去ってしまったからだ。

それは来日を果たしてからわずか1年後のことだった。


Little Feat『On the Eastern Front』
7月8日の中野サンプラザ公演を収録

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