上方のぼやき漫才の第一人者だった人生幸朗・生恵幸子は、夫婦ならではの息のあったやりとりでヒット曲を話題にしながら、歌詞に突っ込んでは「責任者でてこいっ!」とぼやきネタで笑いを取った。
「皆さん聞いてくださいよ、なんですか、あの桜田淳子の『気まぐれビーナス』というふざけた歌」
「去年のトマトは青くて固かった、だけどいかが、今年はもう赤くて甘いでしょ」
「なめとんのか~!!んなもん、1年たったら腐っとるわいっ、責任者でてこいっ!」
1978年にヒットした研ナオコの「かもめはかもめ」も、さっそく二人に取り上げられたが、笑える以上にどこか哲学的なオチだった。
「か~も~めは~か~もめ~」
「当たり前やないかぁ~っ!おのれ、なめとんのんかいっ!」
チェーホフの戯曲「かもめ」やリチャード・バックの小説「かもめのジョナサン」、あるいは寺山修司が浅川マキに書いた歌の「かもめ」があるせいか、かもめという言葉にはどこか文学的なイメージがつきまとう。
そんな言葉をタイトルに持ってきた「かもめはかもめ」は、デビュー3年目だったシンガー・ソングライターの中島みゆきが、ファニー・フェイスのお笑いタレントとして人気者になった歌手、研ナオコに書き下ろしたものだった。
1977年の秋に出たアルバム『かもめのように』に収録されて世に出た後、翌年の春にシングル盤が発売されると、地味な歌にもかかわらず大ヒットして研ナオコの代表曲になった。
この時期の研ナオコのパブリック・イメージは、表面上は明るく陽気に振る舞ってはいても心のうちは……というもので、そこは作者の中島みゆきとも重なり合うところがあった。
恋をあきらめようと自分に何度も言い聞かせる歌には、そうした二人のイメージがリアリティを与えていたのだ。
大ヒットから7年後、作者の中島みゆきは荘厳な音色のパイプオルガンと歌だけという、思い切ったアレンジでセルフカヴァーし、孤独な女の佇まいをさらに際立たせた。
その後はしばらく鳴りを潜めていた感のあったこの歌が、再び取り上げられ始めたのは21世紀に入って、カヴァーの時代がやって来てからのことである。
かもめが空を舞う三陸海岸の港町、宮城県気仙沼市に生まれ育ったシンガー・ソングライターの畠山美由紀が歌う「かもめはかもめ」は、生身の人間が奏でる音楽の力によって、この歌に新たな生命を与えた。
無機的なコンピュータのクリック信号などに支配されず、歌手とミュージシャンとの呼吸や間合いを活かすために、「せーの!」で全員が一緒に演奏して歌った記録(レコード)には、一切のゴマカシやマヤカシがない。
あの世の人生幸朗からは、「当たり前やないかぁ~っ!おのれなめとんのんかいっ!」という台詞が飛んできそうだが、その当たり前が当たり前ではなくなってしまった今の時代に、あえて行われた一発録音のテイクからは、歌と音楽が織りなす豊穣な空間と時間が味わえる。
「かもめはかもめ」に続いて収録されているちあきなおみの「紅い花」も絶品で、畠山美由紀のアルバム『歌で逢いましょう』は、極上のスタンダード・ソング集となった。
すっぴんの歌と演奏はなんとも清々しく、”歌の力”というものをまざまざと感じさせてくれる。
<関連情報>
9月8日(月)放送のNHK BSプレミアム「The Covers」にて、畠山美由紀が「かもめはかもめ」を含む4曲をライブで歌う。演奏は沢田穣治(B)、おおはた雄一(G)、芳垣安洋(Dr)、鶴来正基(Key)、金子飛鳥(Violin)、井上 “JUJU” 博之(Sax)という、一発録音のアルバム『歌で逢いましょう』のバンド・メンバーを従えて披露する。