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カントリーロード〜70年代のアメリカを代表する大ヒットソングの誕生秘話

2023.10.12

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誰もが一度は胸に抱く都会への憧れ。進学、就職、または夢を追いかけて、故郷から旅立つ人々。その多くの者達が、ある時期必ず想うことがある。

「故郷へかえりたい」

70年代、そんな望郷の想いを歌ったアメリカの楽曲が大ヒットした。オリビア・ニュートン=ジョンのカヴァーよって日本でも広く知られることとなったその歌は、世界20カ国以上の国々で愛され、イギリスでは“ドライブの時に聴きたい歌”のナンバーワンに選ばれている。


通称「カントリーロード」として知られているこの「Take Me Home, Country Roads(邦題:故郷へかえりたい)」は、1971年に発売され、ビルボードで全米2位を記録した大ヒット曲である。

70年代のアメリカを代表曲するフォーク&カントリーソングとして親しまれ、歌詞に繰り返し“ウェストバージニア”が登場することから、2014年にはウェストバージニア州の4番目の州歌となった。

そんな「カントリーロード」は、いったいどんな風に誕生したのだろう?

それは1970年の出来事だった。ジョン・デンバーはシンガーソングライターとして崖っぷちに立っていた。前年にRCAから念願のソロデビューを果たしたものの、鳴かず飛ばずのまま契約のリミットを迎えようとしていた。

「カントリーロード」と言えば、ジョン・デンバーの大ヒット曲として一般的に知られているが、彼が一人で作詞作曲したのではなく、作詞にビル・ダノフ、作曲にはタフィー・ナイバートがそれぞれ共作者としてクレジットされている。

当時ビルとタフィーは、ワシントンDCにあるジョージタウン大学の学生で“ファット・シティ・バンド”というバンドを組んで小さなライブハウスで歌っていた。数枚のレコードも発表していたけれど、ジョンと同じくヒットには恵まれていなかった。

彼らの将来性を見込んだプロモーターが、ある日「男女2人組のアコースティックデュオとなって、ジョン・デンバーのライブの前座をしないか?」と声をかけた。それがきっかけでジョンとビルとタフィーは一緒に仕事をする仲となる。

3人で各地をまわる生活を送る中、ある日、ビルのもとに1通の手紙が届く。それはウェストバージニア山脈に住むビルの友人からものだった。ビルは、手紙を読みながら曲想を思いついたのだという。

ビルとタフィーは、それまでしてきたように2人のコンビネーションで曲を完成させようとしたのだが、一ヶ月経っても納得のいくものができなかった。当時、彼らはコンサートの後には興奮して夜も眠れない昼夜逆転した暮らしをしており、夜明けまで起きていることが日常だったという。

ある日の明け方、2人はジョンに作りかけの曲を歌って聴かせ、まだ完成にいたっていないことも伝えた。2番の歌詞は、ちょうど60年代にアメリカで流行していたヒッピーのファッションや生活ぶりを描いたものだった。

ジョンは「歌詞がラジオ向きではない」と指摘し、2番部分の書き換えと、主人公の心情に迫る大サビを付け加えることを提案した。

ジョンの書き換えによって歌詞の世界観は、多くの共感を呼ぶものへと一変した。こうして一晩のうちに出来上がった新曲「カントリーロード」を、ジョンは翌日のライブのアンコールで披露した。もちろん楽曲の原案者であるビルとタフィーをステージに呼び込んでのサプライズ的なセッションだった。

すると、初めて観客の前で歌う曲だというのに、客席からは大歓声が沸き起こったという。


ある日、ライブが終わると、観客の一人がビルに歩みより「ブルーリッジ山脈はどこにあるか、ご存知かな?」と訊いた。ビルが「どういうことか?」と問うと、“Almost heaven, West Virginia. Blue Ridge Mountains, Shenandoah river”と歌われるブルーリッジ山脈は、まったくウェストバージニア州を通っておらず、シェナンドー川もわずかに同州にかかるだけで、そのほとんどは隣のバージニア州を流れていることを知らされたのだ。

実のところ、ビルはウェストバージニアには行ったことがなく、「これはウェストバージニアへ行く途中の風景を歌ったものなんだ」と苦し紛れに答えたという。

その後、ビルとタフィーの元にファンの夫婦が訪れ、「私は主人と一緒にこの歌の風景のあるところに行きました」と語りかけてきた。彼らの話によると、ウェストバージニア州のハーパーズ・フェリーという町からブルーリッジ山脈が見え、シャナンドウ川が見えるのだという。

「この歌の通りに本当に天国のように美しい風景でした」とその婦人は語り、それを聞いたビルとタフィーは「歌詞に嘘はなかった」と、胸をなでおろしたというエピソードがある。

1970年の12月に完成した「カントリーロード」は、翌年の3月8日にジョン・デンバーの新曲として発売され、3月下旬にはヒットチャートに50位圏内にランクインし、7月にはトップテンに入り、8月にはミリオンセラーになるという快挙を果たす。

この大ヒットのお陰でジョン・デンバーはRCAとの契約を更新し、新たなる飛躍のチャンスを掴むこととなった。そしてビルとタフィーもジョン・デンバーとツアー等に同行して、ミュージシャンとしてのキャリアを着実に重ねていくのである。

一通の手紙によってビルの心に浮かんだ“故郷への道”は、タフィーの協力とジョンのアイディアを加え、彼らを“成功への道”へと導いた。

1997年10月12日、アメリカ国内ツアーを終えてカリフォルニアで休日を過ごしていたジョン・デンバーは、自ら操縦する飛行機の墜落事故により突然この世を去る。53歳だった。

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