誰もが一度は耳にしたことがあるだろう、メランコリックで親しみやすいメロディー。この「ろくでなし(Le mauvais garçon)」は、ベルギーの歌手サルヴァトール・アダモの代表曲の一つ。
「雪が降る(Tombe la Neige)」「サン・トワ・マミー(Sans Toi M’amie)」などのヒット曲と同じく、アダモ自身が作詞作曲を手がけたものだ。
彼がまだ二十歳だった1964年に発表されて以来、シャンソンの名曲として人々に愛されつづけてきた歌。1964年といえば、東京オリンピックが開催された年でもあり、同年に日本でも紹介される。
原題の「Le mauvais garcon」は、フランス語で“不良少年”という意味だが、日本では岩谷時子による日本語詞で、越路吹雪(当時40歳)が歌唱し、“ろくでなし”というタイトルで親しまれることとなる。
以降、越路はこの歌を自身のリサイタルやステージなどで必ず披露し、「愛の讃歌」や「ラストダンスは私に」などと共に“十八番”として晩年まで唄いつづけた。
岩谷による訳詞は、主人公を女性に置き換えた内容で、アダモの原詞と比べるとかなり意訳されたものになっている。
二十歳にしてこの名曲を書き上げたアダモは、どんな生い立ちを持つ歌手なのだろう? 彼は1943年11月1日、イタリアのシチリア島で炭坑夫の長男として生まれた。4歳になる年に、一家はフランス国境に近いベルギーの炭坑町に移住する。
祖父からギターをもらった彼は、14歳から作詞作曲を始めた。15歳で民放ラジオのコンクールで優勝し、歌手になる決心を固める。1961年、18歳を迎えた彼はフィリップスレコードからデビューするも、不発に終わってしまう。
翌1962年になってポリドールからリリースした曲も売れず、起死回生を賭けてEMI傘下のレコード会社に移籍し、「ブルー・ジーンと皮ジャンパー(En Blue Jeans Et Blouson D’Cuir)」を発表するが、大衆はまだ彼の才能に気づくことはなかった。
歌手への夢をあきらめきれなかった彼は、同年の11月に「サン・トワ・マミー」を発表する。同曲は、年をまたいだ翌1963年の初春からヒットチャートを駆け上り大ヒットを記録。
一躍、ベルギーやフランスで国民的歌手となった彼は、その後も自作曲を立て続けにヒットさせ、“シャンソン界の貴公子”と呼ばれるようになる。1965年、若干21歳にして、フランス音楽界の殿堂オランピア劇場で公演を成功させ、その人気を不動のものにした。
<引用元・参考文献『ロック&ポップス名曲徹底ガイド①』音楽出版社>
サン・トワ・マミー~アダモ・ベスト
越路吹雪 シャンソンの世界
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執筆者
【佐々木モトアキ プロフィール】
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