「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

街の歌

神田川〜三畳一間のラブストーリー

2025.01.02

Pocket
LINEで送る

1970年代初頭の日本では安保闘争・学生運動の熱が少しずつ冷めていく中、一部の若者たちの間では得も言われぬ敗北感と挫折感が漂い始めていた。

そんな時代に、「神田川」は生まれた。

南こうせつ、伊勢正三、山田パンダからなるフォークグループ・かぐや姫が1973年に発表したもので、半世紀経った今でも“昭和の代表曲”として愛され続けている名曲の一つ。

当初はアルバムの一曲として収録されていた歌だったが、ラジオで大反響を呼び、急遽シングルカットされて160万枚を売り上げる大ヒットを記録した。


楽曲のクレジットには、作曲:南こうせつ、作詞:喜多條忠(きたじょうまこと)と記されている。歌詞を書いた喜多條と言えば、1960年代の終り頃に浅川マキと出会ったことをきっかけに、劇団・天井桟敷を旗揚げしたばかりの寺山修司とも親交のあった作詞家で、第一期かぐや姫のシングルのB面曲「マキシーのために」で作詞を担当した人物でもある。

1970年のデビュー以来、ヒット曲にめぐまれなかった南は、かぐや姫の3rdアルバムを制作するにあたって、文化放送で放送作家をしていた喜多條に作詞の依頼をした。

あるインタビューで、喜多條は当時のことをこう語っている。

「締め切りは今日なんですけどねって、平気な顔して言うんです」


急な依頼に何も浮かばなかったという。その日の帰宅途中、喜多條は神田川沿いを歩きながら、ふと数年前のことを思い出す。

彼女とアパートで同棲していた学生時代。大学の近くにあった三畳一間の小さなアパート。窓の下には神田川が流れていた。60年代、キャンパスには学園紛争の熱が渦巻いていた。

「あの暮らしは一体何だったのか…」


喜多條は、依頼された歌詞にその思い出を書こうと決意した。大学時代には頻繁にデモ運動にも参加していた。ある日、疲れ果ててから帰ると、カレーライスを作っている彼女の後ろ姿を見る。

コトコトと包丁で刻む、ささやかな幸せの音。貧しくとも、かけがえのない時間。このまま彼女と結婚して、社会人として安穏に人生を生きていく。

「俺はそれでいいのか? 彼女の優しさ、そして平凡な暮らしの中に埋もれていく自分…そういうのが怖かった」


書き終えた歌詞の最後に「ただ貴方のやさしさが怖かった」と書き加えた。彼女の目線(言葉)で綴られていた歌詞は、その一行だけ喜多條の思いとすり替わる。

当時、学生下宿が多かった早稲田界隈が舞台となったこの歌。喜多條はある寄稿文に、歌詞に登場する下宿や風呂屋の場所を具体的に綴っている。

「下宿は明治通りの戸塚警察署の向かい側を神田川沿いに入って、戸田平橋と源水橋の間、高田馬場2丁目11番地あたりです。銭湯は西早稲田3丁目、現在の甘泉園近くの路地から少し入った場所にあった“安兵衛湯”。現在はもう廃業してるらしいです」


歌詞を書き上げた喜多條は、すぐに南に電話をして音読しながら伝えたいう。南もまた、その日のことを鮮明に憶えていた。

「小さな石けんカタカタ鳴った…と書き止めながら、最初はなんて変な歌詞なんだろうと思いました(笑)」


受話器から聞こえてくる言葉(歌詞)をメモしながら、南の頭にはすでにメロディーが浮かんでいた。

<引用元・参考文献『歌がつむぐ日本の地図』帝国書院>


この商品の購入はこちらから

●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから

【拡散希望!】
TAP the POPがクラウドファンディングを初実施。
詳しくはこちら。
CAMPFIREのアカウントを作成してからTAPのクラファンページを「お気に入り登録」をしておくと、受付開始時や最新のお知らせなどがメールへ届くので便利です。





TAP the POPメンバーも協力する最強の昭和歌謡コラム『オトナの歌謡曲』はこちらから。


執筆者
【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

【公演スケジュール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12660299410.html

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[街の歌]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ