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季節(いま)の歌

春を想う歌・後編 〜イルカのなごり雪

2024.02.21

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1975年、かぐや姫は解散することとなる。
このとき「イルカに“なごり雪”を是非歌わせたい」と名乗り出たのがイルカの夫・故神部和夫だった。
イルカは19歳で神部と結婚、夫婦でデュオを組んで活動していた。
1974年、当時24歳だったイルカはソロ活動を始め、神部はプロデューサーとしてイルカを支えた。
イルカとかぐや姫といえば、イベント等のステージで一緒に歌ってきた音楽仲間でもあった。
だが、彼女は「なごり雪」を歌うことにためらいがあった。
かぐや姫の名曲を今の自分では恐れ多くて歌えない…と。
しぶしぶ連れて行かれたスタジオで、伊勢は彼女にこう言ったという。

「なごり雪」が好きなら歌えばいい。
僕はうれしい、好きなように歌えばいい。


彼女は伊勢の言葉に背中を押されながらマイクの前に立った。
歌うつもりはなかったから、ちゃんと練習をしていなかったという。
そして意を決した彼女は、音符ではなく言葉(歌詞)を追って心を込めて歌った。
後で聴くと原曲の「きれいになった」「きれいにーなった」と1拍分多くなっていた。
イルカの「なごり雪」の誕生であった。
伊勢が生み、イルカが育て、そして「なごり雪」は日本を代表するフォークソングとなった。
大人になってゆく少女との淡い別れを歌ったこの名曲は、時代を超えて“春の定番”の歌となった。

<前編〜伊勢正三のなごり雪はコチラ>


♪「なごり雪」/イルカ


時は流れ…2002年、この歌のたった1拍の違いに注目した映画監督がいた。
大林宣彦である。
大林は伊勢が作った「なごり雪」をモチーフに同名の映画を作り上げた。
伊勢の出身地からほど近い大分県臼杵の古い街並みが残る二王座でのうすき竹宵や、臼杵磨崖仏での石仏火祭りなど、臼杵各地で撮影が行われたほか、大分市や旧宇目町(現佐伯市)でもロケが行った。
登場人物のセリフとして「なごり雪」の歌詞をそのまま使うという実験的な試みにもトライした。

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この映画を作るにあたって大林が選んだキーワードは“断絶”だった。
「君はきれいになったが、もう僕とはいっしょにはいない」断念の気持ちだという。
そして大林は、伊勢が歌う1拍少ない「なごり雪」にこだわった。
1970年代の日本は高度成長時代。モノとカネがあれば幸せになれると人々は信じた。
しかしモノとカネを得た代わり失ったものも大きいと大林は映画で表現した。
伊勢はいう。

「今思えばこの歌は僕にとって旅立ちの歌だった。」



【イルカ オフィシャルサイト】
http://www.iruka-office.co.jp

イルカ『こころね』

イルカ『こころね』

(2002/日本クラウン)





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