別れ、人恋しさ、運命の無情さを歌った日本の名曲「恋人よ」をご紹介します。
この究極の“別れの歌”について、作者は次のように語っている。
「やっぱり別れというのは本当に嫌なもので…昨日までいた人がね、突然いなくなってしまうというこの現実。 “冗談だよと笑ってほしい”それはもう心底出てきたようなフレーズですね。」
この歌は、シンガーソングライター五輪真弓が29歳の時に作詞作曲をしたもの。
1980年の日本レコード大賞において金賞を受賞し、彼女にとってはデビュー以来8年目にして初のNHK紅白歌合戦への出場を果たした。
東京都中野区で生まれた彼女の名前「五輪(いつわ)」には、どんなルーツがあるのだろう?
1992年に他界した彼女の父親の出身地は、長崎県にある五島列島の一つの島、久賀島(ひさかじま)の“五輪地区”(ごりんちく)という場所で、父は終戦前までその地に暮していたという。
近くにキリスト教徒が多くいた場所で、長崎で迫害された“隠れキリシタン”が集まった島でもあった。
音楽好きだった父は、自宅ではバイオリンやギターを弾き、近くの五輪教会(ごりんきょうかい)から請われてオルガンを弾いていたという。
そんな父もまた敬虔なカトリック信徒だった。
五輪真弓(いつわまゆみ)という名前は、この五輪地区からとったものだという。
彼女は、ある番組のインタビューでこんなことを語っている。
「自分に受け継がれているものは“愛の精神”なのではなかろうか?」
「愛を信仰するという遺伝子が自分の中にも受け継がれていると感じています。」
それは1980年の春の出来事だった。
21歳の時にアルバム&シングル『少女』でデビューして以来、17枚のシングルを発表してきた彼女は「次作では究極の別れの歌を作りたい」と思っていた。
そんな矢先、デビュー時からプロデューサーとして関わり、家族ぐるみで彼女を可愛がり支えてくれた男・木田高介(きだたかすけ)が突然の交通事故で亡くなったとう衝撃的な訃報が彼女のもとに届く。
5月18日、木田は山梨県の河口湖沿いにて車を運転中に事故を起こし、同乗していた編曲家・阿部晴彦と共にこの世を去った。享年31。
木田といえば、1967年に早川義夫をリーダーとするジャックスに参加したのをきっかけに、ジャックス解散後は六文銭に一時在籍、その後はCBSソニー、東芝EMIを中心にアレンジ、編曲、プロデュース業を幅広く手掛けていた才人である。
彼が担当したミュージシャンは、五つの赤い風船、フォーリーブス、かぐや姫、バンバン、山室英美子(トワ・エ・モワ)、りりィなど。
事故から約1ヶ月後の6月29日、日比谷野外音楽堂で追悼コンサートが開かれ、多くのファンやアーティストが集まった。
吉田拓郎、小室等、遠藤賢司、かまやつひろし、イルカ、りりィ、土屋昌巳、かぐや姫、オフコース、ダ・カーポ、五つの赤い風船、山本コータロー、加川良、沢田聖子、ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド、金子マリとバックスバニー、Char、倍賞千恵子…そして五輪真弓など、錚々たるアーティストがステージに登場し、才能あふれる音楽家の死を偲んだ。
恩師を失ったショックの中、葬儀の時に目にした木田の妻の悲しむ姿が忘れられずに…彼女はこの「恋人よ」の作曲に取りかかる。
二度と再会が叶うことのない“別れ”を綴った歌詞は、葬儀からの帰り道で思いついたのだという。
この楽曲がもつ“歌のチカラ”に惹かれ、昭和を代表する歌手・淡谷のり子、そして美空ひばりは自身のレパートリーに加えた。
生きている限り誰もが避けては通れない「別れ」や「悲しみ」に触れたときにこそ、私たちは大切なものに気づくのかもしれない。
そして、この歌のクライマックスでくり返される歌詞には…究極の願いと共に、大切な人を想う“愛の精神”が貫かれている。
こちらのコラムの「書き手」である佐々木モトアキの活動情報です♪
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