誰もが一度は耳にしたことがあるだろう、このポップなメロディー。「オー・シャンゼリゼ(原題:Les Champs-Élysées)」は、パリのシャンゼリゼ通りをモチーフとした歌曲として広く知られている。
1969年にニューヨーク生まれ人気歌手、ジョー・ダッサンが大ヒットさせて世の中に定着した。日本では1971年に、“歌うフランス人形”として売り出されたモロッコ生まれのフランス人歌手、ダニエル・ビダルが唄ったバージョンが大ヒットを記録する。
この歌の日本語訳では安井かずみのものが有名だが、当時シャンソン歌手として人気絶頂だった越路吹雪が歌った岩谷時子の訳詞もまた秀逸である。
この歌の誕生のきっかけを紐解いていくと、何とそもそも歌詞の舞台はパリでもなければ、フランスで産まれた曲でもないというのだ。一体この歌はどんな風にして誕生し、どんな運命を辿ってきたのだろう?
──それは1968年の出来事だった。イギリスのロンドンに、Jason Crest(ジェイソン・クレスト)というバンドがいた。サイケデリック路線で売り出そうとしてはいたものの、今ひとつ方向性を見出せないまま燻っていた。
当時、そんな“鳴かず飛ばず”のバンドのプロデューサーを担当していたのが、フリッツ・フライヤーという男だった。彼は後にモーター・ヘッドなどのプロデューサーとして名を馳せた人物でもある。
ある日、フリッツはジェイソン・クレストの作曲能力に限界を感じ、かつて自分が在籍していたバンドThe Four Pennies(ザ・フォー・ペニーズ)のメンバーだったマイク・ウィルシュと、ミュージシャン仲間のマイク・ディーガンの二人に楽曲を発注した。
そこで出来上がってきた「Waterloo Road」という楽曲が、ジェイソン・クレストの4thシングルとして発表された。
この曲がイギリスでリリースされた当時、ジョー・ダッサンというニューヨーク生まれのフランス人歌手がロンドンに滞在していた。ジョー・ダッサンは、たまたま耳にしたこの曲を気に入って、自分が歌うためにフランスのシャンソン作詞家ピエール・ドラノエに訳詞を発注した。
ピエールはロンドンの“ウォータールー通り”を舞台として書かれていた歌詞を、パリの“シャンゼリゼ通り”に差し換えて「オー・シャンゼリゼ」というタイトルをつけた。
1969年、そっくりそのままのメロディーにのせたフランス語歌詞でジョー・ダッサンが発表したところ、全仏でNo.1になる大ヒットを記録する。
原曲を歌ったジェイソン・クレストも、これを機にチャンスを掴めると思いきや、「オー・シャンゼリゼ」がヒットした後も表舞台に立つことなくあえなく解散。
──ロンドンの売れないバンドが歌ったメロディーを、ニューヨーク生まれの人気歌手がフランス人の訳詞家による仏語バージョンを唄って大ヒットさせる。
日本では、モロッコ生まれのフランス人アイドル歌手や和製シャンソン歌手が唄って広めた。ひとつのメロディーが辿った不思議な巡り合わせから、あらためて“歌のチカラ”を知ることとなった。
Aux Champs-Élysées
Aux Champs-Élysées
ちなみにサビで連呼される「オー」の部分は英語の「Oh!」と思われがちだが、実はフランス語でAux Chanps-Elysées と書いて「シャンゼリゼ通りにて」を意味するà + les 「〜にて」の縮約auxのことだという。
越路吹雪 シャンソンの世界
Les Champs-Elysees
オー・シャンゼリゼ~ベスト・オブ・ダニエル・ヴィダル
A Place In The Sun
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執筆者
【佐々木モトアキ プロフィール】
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