1992年にデビューしたTHE YELLOW MONKEYは、歌謡曲とグラムロックを融合させた、新たな日本語ロックを志向するバンドとして活動を開始する。
活動初期は、奇抜なルックスと、過激なライヴ演出や歌詞でアンダー・グラウンドな存在であった。しかし、ライヴでの動員を着実に増やし、デビュー2年目にして武道館公演が決まり、1995年にはシングル「太陽が燃えている」がヒット。さらにその年の11月に発表したアルバム『FOUR SEASONS』はオリコンチャートの1位を記録し、見事にブレイクを果たしたのである。
そんなブームの最中、ヴォーカルの吉井和哉は、日本コロムビアのディレクターの宗清裕之に次のシングルの構想を伝える。
「僕は日本の『すべての若き野郎ども』を作りたいんです」
「すべての若き野郎ども」は、イギリスのロックバンド、モット・ザ・フープルにデヴィット・ボウイが提供した楽曲だ。

吉井はこの曲のように、絶望と希望を同居させた日本語ロックのスタンダードナンバーを作ろうとしていたのだ。そうして彼は自身の子供の誕生と1995年に起こった震災やテロに思いを馳せながら、自分自身の不安と希望を3連符のロックバラード「JAM」を書き綴る。

しかし、日本コロムビアの社内では、シングルとしてリリースすることへの反対意見が巻き起こる。
「バラードで勝負なんて早いですよ」
「この曲じゃあテレビに出られません」
「我々宣伝がここまで培ってきたものをぶち壊す気ですか」
それはTHE YELLOW MONKEYがブレイクした時期だからこそ生まれた、レコード会社からの慎重で建設的な意見ではあった。しかし、メンバー4人やディレクターの宗清裕之、プロモーション部の中原繁による粘り強い説得によって、「JAM」はシングルリリースされることが決まる。
結果的にこの議論によってレーベル内での一体感が生まれ、大々的なプロモーションが行われることになった。社内での反対意見が出たことを逆手に取り「レコード会社に発売を反対された問題作」としてプロモーションしたことで、音楽雑誌で大々的に取り上げられたのだ。
さらにプロモーション担当の中原繁は、人気音楽番組「ミュージック・ステーション」と交渉し、5分にも及ぶ楽曲をフルバージョンで歌えるように尽力する。
こうした努力が実り、「JAM」はチャートの上位にランクインし、最終的には80万枚ものロングヒットを記録した。昭和の「黒い花びら」のような3連符のロッカバラードのメロディと、吉井の素直な想いから生まれた歌詞は、同時代を生きる日本人の心を打ったのだ。
そして「JAM」は、THE YELLOW MONKEYの代表曲として知られるようになる。2004年のバンド解散後も吉井のソロライヴや、彼らから影響を受けた若手アーティストたちにより、長きにわたって歌い継がれてきた。
そしてリリースから20年後の2016年、THE YELLOW MONKEYは再結成を果たし、その年の大晦日で「JAM」を披露する。NHKホールでの5分にも及ぶ熱演は、まさに楽曲の色褪せない魅力を感じさせるものだった。
ちょうどその前日の朝日新聞には、「JAM」の歌詞とともにメンバーによる言葉が掲載されている。
「残念だけど、日本にはまだこの歌が必要だ」
この言葉通り、吉井とTHE YELLOW MONKEY、そしてスタッフたちが野心と熱量を持って送り出した楽曲は、「日本のロックアンセム」であり続けているのだ。
参考文献 「失われた愛を求めて」吉井和哉 ロッキングオン
※文中での発言は音楽ナタリーのインタビュー「THE YELLOW MONKEY それぞれの一曲」より引用しています。
https://natalie.mu/music/pp/theyellowmonkey03
*このコラムは2019年4月に公開されました。
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