フィラデルフィアの大学で出会ったダリル・ホールとジョン・オーツは、名門スタジオ、シグマ・サウンドのセッション・ミュージシャン等の経験を経てアトランティック・レコードと契約した。
しかし、1972年~1974年にニューヨークで3枚のアルバムを録音したものの、大したヒットにはならなかった。そして1975年、RCAへ移籍して心機一転。レコーディング場所を西海岸ロサンゼルスに移した。
過去3枚のアルバムがヒットしなかった理由のひとつに、自分たちの顔をアルバム・ジャケットに出したことがなかったからではないかと思い、アルバム・ジャケットの“二人の顔から目が離せない”というようなものを狙おうと彼らが思いついたのが、当時話題になっていたグリッター・ロックのパロディーだった。
ところが、その写真を撮るのに著名なファッション・フォトグラファーを起用したことから、撮影はどんどんと思わぬ方向へ進み、パロディーがパロディーではなくなってしまった。
仕上がったものは誰にもジョークだと理解してもらえず、メイクを施して寄り添うシルヴァーの表ジャケットや、かなりきわどいインナースリーブの写真からは、二人のゲイ説がまことしやかにささやかれて話題となった。
また、当時ダリルと彼の恋人サラとジョンの3人で同じアパートに住んでいたのだが、二人が同じアパートに出入りするという事実さえもゲイ説に結びつけられたりした。
二人はそのことを面白がって特に否定もしなかったが、さすがにゲイの人々からのファン・レターが増えたことには苦笑せざるをえなかった。
ジャケットが話題になったこともあり、このアルバムからの3枚目のシングル曲「サラ・スマイル(Sara Smile)」は、1976年にビルボード・チャート4位まで上がるヒットとなった。
ダリルが恋人のサラことサンディ・アレンについて歌った歌で、「イッツ・ユー・アンド・ミー・フォエヴァー」と歌う、かなり甘くてメロウなラヴソングだ。
ダリルはこの歌を、サラに対して“I love you”というポストカードみたいなつもりで書いたというが、当のサラはなぜかあまり喜ばなかったらしい。
80年代のホール&オーツはダリル・ホールがメイン・ヴォーカルのヒット曲ばかりだが、70年代の初期の作品にはジョン・オーツがリードをとる楽曲も多く聴くことができる。ジョンのヴォーカルもなかなかソウルフルで味わい深い魅力があるのだ。
アルバムから2枚目のシングル曲「ひとりぼっちの真夜中(Alone Too Long)」は、ジョンが書いた曲で、下位ながらも当時ソウル・チャートにランク・インしたことに注目したい。
このアルバムは彼らの2枚目のアルバム『アバンダンド・ランチョネット』のプロデュースに貢献したクリス・ボンドが抜擢されて、ホール&オーツとの共同プロデュースとなっている。
西海岸の実力あるセッション・ミュージシャンが集められたことと、フィラデルフィア・ソウル・サウンドを得意とするクリス・ボンドの手によって、ジャケットの印象とは裏腹に洗練されたソフトでポップなアルバムに仕上がっている。ホール&オーツの二人は、もっとロック色の強いものにしたかったらしい。
日本では『サラ・スマイル』という邦題がつけられているこのアルバムだが、もともとはタイトルがつけられていなかったため、俗にシルヴァー・アルバムと呼ばれている。
ロサンゼルスで初めて録音されたシルヴァー・アルバムは、ジャケットもサウンドも本人達の思惑どおりにはいかなかったが、彼らにとって初のゴールド・ディスクとなった。
誤解が話題を呼んで噂になったダリル・ホール&ジョン・オーツにとって、シルヴァー・アルバムは記念すべきヒット・アルバムなのである。
ところで、1976年のイーグルスのアルバム『ホテル・カリフォルニア』に収録されている「ニュー・キッド・イン・タウン」は、当時のダリル・ホール&ジョン・オーツについて歌った歌だとも言われている。
誰もがみんな奴の噂で持ちきりさ
奴は街の新顔さ
参考文献:「ホール&オーツ ロックン・ソウルを求めて」林洋子著 シンコー・ミュージック
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