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青い瞳に宿る悲しげな思いと「追悼のメロディ」

2024.10.11

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2007年11月15日。
『ダリル・ホールの家からのライブ』という名の番組がネットで公開されるようになった。

スモーキー・ロビンソン、ジョー・ウォルシュ、ロブ・トーマスなどをニューヨーク、ミラートンにある自宅に招いたのは、ホール&オーツで名を馳せたダリル・ホールである。

1972年にレコード・デビューを果たし、「リッチ・ガール」「ウェイト・フォー・ミー」などの大ヒット曲を持つダリル・ホール&ジョン・オーツは、ブルー・アイド・ソウルと呼ばれるジャンルで、最も成功したMTV時代のアーティストだとされている。

ブルー・アイド・ソウル。
青い瞳のソウル・ミュージック。
どういうわけか、日本人はこの、青い瞳のソウルに弱い。

こんなに悲しかったことがあるかしら
いったい何があなたに起こったの?
きっと新しい人を見つけたことが
私のブラウンの瞳をブルーにしないとでもいうの?


1977年。
クリスタル・ゲイルのヒット曲「ドント・イット・メイク・マイ・ブラウン・アイズ・ブルー」の一節である。
ブルー・アイ、青い瞳は、悲しげな瞳と共鳴しあっているのだろう。


誰もがいい気になって僕を慰める
どうすればいいのかと僕に教えようとする
親父は説教で僕を退屈にさせる
でも、明白じゃないか
そんなことで慰めになどならないと


「追憶のメロディ」という邦題がつけられた「She’s Gone」は、1976年にタヴァレスのカバーがヒットしたことでシングルカットされ、全米6位のヒットになった歌だが、この曲が書かれたのは、ホール&オーツがデビューした1972年のことである。

1972年の大晦日。
ホール&オーツのふたりは、まさにブルーのどん底だった。ダリルはブリナ・ラブリンと離婚したばかりだったし、ジョンの方もガールフレンドと別れたばかりだった。

大晦日、ふたりはダリルの部屋で一緒に過ごしている。ひとりで新年を迎えるよりはマシだと思ったのだろう。ダリルがギターをつま弾く。ジョンは、キャット・スティーブンスの「ワイルド・ワールド」に似ていると思ったという。ハーモニーをつけるため、キーボードのスイッチを入れた。

誰もがいい気になって僕を慰める


ダリルがその言葉をメロディにのせた瞬間、曲は形を見せ始めた。ふたりは、除夜の鐘に慰められるように、失恋のメロディーを紡ぎあげたのである。

「追憶のメロディ」は、彼らのセカンド・アルバム『アバンダント・ランチョネット』に収録された。アルバム・ジャケットは、森の中に打ち捨てられた一軒の食堂の写真である。この写真は、ペンシルヴァニア州ポッツタウンにあったローズデール・ダイナーを写したものだ。



ペンシルヴァニア州チェスター郡ノース・コベントリーで1948年に生まれたダリルは、少年時代、ポッツタウンに引っ越している。

ローズデール・ダイナーは、若き日のダリルが訪れた食堂だったのだろうか。それはわからない。だが、故郷に打ち捨てられた食堂の姿は、当時のダリルの心情にぴったりだったのだろう。

そして、そんなメランコリックな感情は、まさに日本人が好きなブルー・アイド・ソウルにもまた、ぴったりだったのである。



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