ミュージック・ライフ(MUSIC LIFE)と歩んだ1980年代
「音楽に本格的に目覚め始めたのは?」と訊かれた時、多くの人は「中高時代かな」と答えるかもしれない。それまでTVのベストテン番組で「歌謡曲」や「ニューミュージック」に慣れ親しんでいた少年少女が、ある日をきっかけに「洋楽」に魅せられていく……これは現在のように、ネットやSNSでの情報収集やコミュニケーションがまだなかった時代の話だ。
「洋楽デビュー」のきっかけは1981年、中学1年の時のクラスメイト。音楽一家で育った彼は母親がピアノの先生ということもあり、みんながアイドルに夢中になっていた頃、すでにYMOやイージーリスニングを愛聴していて、仲良くなった自分にその魅力を話してくれたのだ。
次第に近藤真彦や松田聖子より、坂本龍一やシャカタクの名の方がメジャーになっていった。ステレオの使い方、ギターの弾き方、テープのダビングのやり方を教えくれた友人は、放送部に入って好きな音楽だけを学校の昼休みにかけ続けた。
そんな少年たちが「洋楽」の扉を叩くのは当然のこと。1983年にはもうYMOすら聴かなくなっていた。その年、マイケル・ジャクソンの『スリラー』や『フラッシュダンス』が世界的ヒット。MTVにはカルチャー・クラブやデュラン・デュランが頻繁に映り、シンディ・ローパーとマドンナがデビューした。そしてポリスの『シンクロニシティ』やLAメタルのクワイエット・ライオットのアルバムがナンバーワンになった。すべて1983年の出来事だ。
この頃になると、輸入レコード店、ライナーノーツ、ラジオ番組『ダイヤトーン ポップスベストテン』、『FMファン』や『FMステーション』といったFM情報誌、『ベストヒットUSA』や『SONY MUSIC TV』などの深夜番組、あるいは大学生の家庭教師や年上の親戚のお兄ちゃんまで、「洋楽」の情報源はそれなりに出揃っていた。
待っていても何も来ない。ならば自ら取りに行く。時間を掛けて手に入れた情報には、今と比べものにならないくらい愛着があり、思い入れも深かった。
中でも雑誌『ミュージック・ライフ』(シンコー・ミュージック発行)は、月に一度のお楽しみ。誌面は10代を中心とした若い世代の洋楽ファンに向けて作られているが、英米アーティスト混在の情報量の多さやバラエティに富んだコーナー作りで限りのない世界が広がっているように思えた。
今風に言えば、コンテンツが豊富。めくっているだけでワクワクした気持ちになれるのだ。当時、一番売れていた音楽雑誌だという。ちょっと通向けな『ミュージック・マガジン』という選択肢もあったが、“初心者”や“入口”としてこれ以上魅力的なものはなかった。
初めて買ったのは1983年5月号。表紙はホール&オーツ。巻頭カラーグラビアやモノクログラビア、ギターやオーディオ、洋楽アーティストの新譜広告が並んで、目次が始まるのは100ページになってから。
その後、アーティストへのインタビューやアンケート(直筆サイン入り)、ライヴレポート、紹介コラム、アーティスト研究やディスコグラフィー、最新ヒットチャート、新譜やコンサート情報、ニュース、ゴシップ、パロディー、ロックショップの通販広告、読者投稿、プレゼント、編集後記などで埋め尽くされ、軽く300ページを超えていく構成。ちゃんと読めば、閉じ終えるまで1〜2時間はかかる。
(私物撮影)
名物コーナー「POP POLL」の存在も忘れられない。これは読者による人気投票で、グループ、ヴォーカル、ギター、ペース、ドラム、キーボード、来日パフォーマンス、セックスシンボル、スキャンダル、新人、シングル、アルバムなど各部門の集計状況が一定期間発表される。読者にとっては自分の好きなアーティストが何位なのか、毎月気になるという仕組み。
『ミュージック・ライフ』が少年少女に夢や刺激を与えくれたのはこれだけではない。通算500号突破を機に、1986年5月号から判型・紙質・ロゴを大幅にリニューアルしたのだ。これはちょっとした“事件”だった。
ミュージック・ライフが大〜きく変わります!……世の中あげてのヴィジュアル時代。“僕の、私の大好きなあのミュージシャンの写真を持つと大きいサイズで見たい!”という読者のみなさんの熱い要望と期待にお応えして、長年このサイズ、この厚みで時代を映し出してきたミュージック・ライフが、ドドォ〜ンと大判になりますよ!
記念すべきリニューアル第1号の表紙はチャーリー・セクストン。キャッチコピーもそれまでの「ロック・ジェネレーションのための」から「ロック・ジェネレーションのためのヴィジュアル・マガジン」に変更。雑誌を見開くと、いきなり目次からスタートする。内容は引き継がれながらも、レイアウトが整理整頓されて随分と見やすくなった。
(私物撮影)
さらに記念号ということで、歴代編集長の言葉も同誌の35年分の歴史を振り返りながら綴られている。中でも東郷かおる子4代目編集長(79年4月〜当時)の言葉に、雑誌作りの真髄と美学を見た。
私がいつも心がけていることのひとつに、良い意味でのミーハー精神を失いたくないなということがあります。つまり、常に読者〜ファンの側に立った姿勢を持っていたいと思うのです。したり顔の評論は、ファンの立場から見ると、時としてとても腹の立つ悪口にすぎないということが、かつて読者だった私には、よーくわかるからです。
「ミュージック・ライフは良いことしか書かない。ミーハーの雑誌だ」という批判がなくもないことも充分承知していますが、私はそれで結構だと思っています。ミュージシャンやファンに信頼してもらえることの大きさに比べたら、そんなことは小さなことにすぎません。私たちスタッフが、なぜこの仕事を選んだのかと言えば、ロックが好きだからです。好きな人間が好きな人間のために作る雑誌、それがミュージック・ライフなんです。
その後、友人も僕も60〜70年代ロックや黒人音楽に出逢うため、壮大な音楽の旅へ飛び立つことを決意。『ミュージック・ライフ』を手に取ることはなくなった。それはそれで「行ってらっしゃい!!」と、編集長やスタッフはきっと祝福してくれたことだろう。
誰にでも忘れられないものがある。10代の頃の「洋楽」体験があんなにもキラキラして楽しかったのは、何よりも『ミュージック・ライフ』のおかげだ。
*このコラムは2017年6月に公開されたものを更新しました。
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