1961年にCMソングとして誕生して以来、かまやつひろしの歌唱によって始まったテーマソング「レナウン・ワンサカ娘」は、敗戦から復興しつつあった日本の高度成長期の勢いを反映していた。
この歌がとくに知られるようになったのは、1964年に弘田三枝子の唄ったヴァージョンが有名になってからだった。
これを作詞作曲して、編曲を行ったのが小林亜星である。きっかけは、実の妹がたまたまレナウンの宣伝部に勤めていたことだという、
小林亜星は音楽の仕事を始めてからアレンジの分野で認められ、それなりに売れっ子になってきたところだった。そんな兄のことを妹は会社がCMソングを作るということになったときに、音楽の道に進んで活躍していると担当者に紹介してくれたのだ。
ところがこのときの小林は、まだCMソングを経験したことがなかったという。そこで打ち合わせの場所に出向いてから、レナウンの担当者に対して「コマソンは作ったことがないんです」と正直に打ち明けた。だが、やる気は十分だった。
担当者は困った顔をしていたが、それでも気を取り直したように、「何曲か作って聞かせてください」と言ってくれたという。
コマソンの主流は童謡調やシャンソン調だったのですが、僕はぜひ、これはアメリカン・ポップス調でやりたいと思いました。当時は、今は亡き坂本九さんが言い出した「カッコいい」というフレーズが大流行りで、僕としては、日本のコマソンはカッコわるいと思っていましたので、大いに張り切ったのです。
(小林亜星著「亜星流!チンドン商売ハンセイ記」朝日ソノラマ)
学生時代には学校へも行かず、夜な夜な進駐軍のクラブで演奏して小遣いを稼いでいた小林亜星は、ジャズのスタンダードソングや、ロックンロールのヒット曲を詳しく知っていた。だからコマーシャルの全体像がわかれば、それなりにアイデアがわいてくる自信はあったらしい。

1964年には映画『アイドルを探せ』が世界で公開になり、フランスの人気スターだったシルヴィー・ヴァルタンが唄った挿入歌の「アイドルを探せ」が日本でもヒットした。
そして人気絶頂だった1965年に来日公演を行った時に、彼女が唄った「レナウン ワンサカ娘イエイエ」がつくられて、これもまたCMソングとして一世を風靡したのだった。

そんな才人がCMソングについて、著書のなかで明快にこう述べている。
コマーシャルの仕事は、一言で表現すれば、デザインワークであるといえます。何かの商品があって、その商品から発想を広げていって、何か感動に似たものを作り出す。それが人を動かして、商品を動かすという仕事です。
そして歌謡曲についても、こんな名言を述べていた。
「歌っていうのはなかなかに難しくて、音楽だと思うと間違いだし、詩だと思っても間違い。詩という文学性、メロディーという音楽性、それから歌い手の演劇性、これらがうまく合わさったとき、初めていい歌ができる」
(久世光彦「歌が街を照らした時代」幻戯書房 186ページ)
東京大学に在学中だったシャンソン歌手の加藤登紀子が、1966年にレコード大賞新人賞に選ばれたのは、流行の兆しを見せていたフォークソングを思わせる「赤い風船」だった。
これはポリドールの女性ディレクターだった藤原慶子に頼まれて、小林亜星が最初に書いた歌謡曲である。
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