「北オンタリオに小さな町があります」
ニール・ヤングがそう歌ったオメミーは、彼が幼少時代、学校に通った小さな町である。試しにトリップ・アドバイザーで「オメミー」と入力しても、そこに出てくるのは「トリプル・T・シーダー・リゾート」という名前の朝食付き簡易ホテルと宅配ピザの写真くらいなものだ。
だが、この小さな町こそ、ニールの心の故郷なのである。
ニール・ヤングが生まれたのはトロントだ。父親のスコットは、ジャーナリストであり、スポーツ・ライターであり、小説家だった。
母親のエドナは「ドーター・オブ・ジ・アメリカン・レボリューション」(DAR)の会員だった。DARは、アメリカ独立時代からのファミリー・ツリーを大切にする保守的な女性団体である。ふたりの間には、1942年に長男のボブが産まれている。
だがその後、スコットは英国に渡ることになった。第二次世界大戦の記事を通信社に送るためである。そしてその後、カナダに戻り、カナダ海軍に身を投じる。そして終戦。その直後、1945年の晩秋にニールが産まれている。
スコット・ヤングが、オメリーに一軒家を買ったのは1949年。ニールが4歳の時である。カナダだけでなく、アメリカの雑誌にも寄稿していたスコットが、オンタリオ州北部の小さな町に引っ越したのには理由があった。ニールがポリオに感染したことがわかったからである。
都会よりは、少しでも環境のいいところで。そう望んだのは、母のエドナの方だったとも言われている。オメリーに引っ越してから少しすると、ニールは小学校に通うようになる。
「歩いて学校に行って、歩いて家に帰る。僕はみんなのことを知ってるし、みんなも僕が誰かを知っている」
ニールはそんな日々と、そんな町が大好きだった。だが、彼の病状はさほど回復を見せなかったのである。そこで一家は、フロリダへの移住を決意する。暖かい場所の方が病気の回復が早いだろう、と考えての決断だった。
確かに、暖かい気候の中で、病状は回復に向かったようだった。だが、ニールはどうしようもない喪失感に襲われたのである。オメミーの青空が、美しい星空と月が懐かしかった。木々の間を飛んでいく鳥たちを思い出した。しかし、鳥たちは彼をひとり置き去りにして飛んでいってしまうのだった。
ニールが高校生になったばかりの頃、スコットとエドナは離婚を決めた。兄のボブはスコットが、ニールはエドナが引き取った。そしてニールは、母親とともにカナダへ戻ることにする。だが、もうあの頃の日々は帰ってこなかったのである。
その絶望感を彼はひとつの言葉に込めた。それが。。。
♪ヘルプレス
ヘルプレス
ヘルプレス♪
何と僕は無力なのか。。。

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