『華麗なるギャツビー』(The Great Gatsby/1974・2013)
世界的な文学を振り返ろうとする時、1920年代のアメリカの好景気の幕開けと同時に華々しくデビューして、現在のポップスターやロックスター並みに新しい世代の代弁者に祭り上げられ、やがて訪れる1930年代の大恐慌と歩調を合わせるかのように自らを暗闇の中で静かに崩壊させていった、美しく呪われた作家の名を避けて通ることはできない。
──F・スコット・フィッツジェラルドなくして「ロスト・ジェネレーション」もアーネスト・ヘミングウェイも語れないし、フィッツジェラルドが遺した長編や短編小説に触れることは、上昇と下降が交錯する人生そのものを深く体験できると言っても過言ではない。
フィッツジェラルドは自分の人生の破片や挫折を両極的な二重ヴィジョンで作品に投影させ続けたことでも有名で、その切なさと儚さの極致とも言える描写の数々と滅びゆく者の美学は、日本でも野崎孝氏や村上春樹氏らの紹介によって広く知られることにもなった。
中でも1925年に発表された『華麗なるギャツビー(The Great Gatsby)』はフィッツジェラルド文学の最高傑作として世界中の言語で翻訳されている物語なので、一度は手にとって読んだことのある人は多いと思う。
ニック・キャラウェイとジェイ・ギャツビーの姿はフィッツジェラルドの分身であることは言うまでもないし、ギャツビーの夢の象徴であるデイジーは彼の妻ゼルダを思わせる(事実、フィッツジェラルドは売れっ子作家になる前にゼルダに求婚しているが、ゼルダは「金持ちではない」ことを理由に拒絶した)。
(以下、小説のストーリー・結末あり)
1922年の春。30歳のニック・キャラウェイは好景気に沸くNYの証券会社に職を見つけて中西部から出てきたばかり。住居はロング・アイランドのウエスト・エッグにある月80ドルの小さな家を借りた。すぐ隣には大豪邸が建っていて、ジェイ・ギャツビーという主人が週末になると豪華絢爛なパーティを繰り返していた。ギャツビーは密売やスパイで巨万の富を築いたといった噂が飛び交う謎めいた人物だった。
海の向こう側にはイースト・エッグと呼ばれる高級住宅街が望め、そこにはニックのまた従妹のデイジーが夫のトムと住んでいる。名家の出身で有閑階級である二人はニックと再会の喜びを分かち合うが、トムにはどうやら愛人がいて夫婦仲に亀裂が生じていることを、ニックはその場にいたデイジーの女友達ジョーダンから聞かされる羽目になる。
その夜、ウエスト・エッグに戻ったニックは、イースト・エッグの遠くの灯火を見つめながら物想いに耽るギャツビーの姿を見かける。
パーティに招待されたことがきっかけでニックとギャツビーの交友が始まる。そのうちギャツビーがデイジーと会いたがっていて、華やかなパーティもデイジーの気をひくためのものであることを知る。ある昼下がり、ニックが二人を引き合わせると、幸福感に包まれたギャツビーはデイジーを引き連れて大邸宅の案内をする。
5年前。二人は熱烈な恋に落ちて密かに婚約したが、文無しの軍人だったギャツビーがヨーロッパの戦地に赴いている間、デイジーが富豪のトムと結婚してしまった。「社交界に出入りする金持ちのお嬢さんは貧しい男と結婚できない」事実を知ったギャツビーは底知れぬ敗北感と屈辱を味わうが、今こうして巨万の富を極めたのは、ただ愛する人を取り戻そうとする手段に過ぎないことをニックは知る。「過去は取り戻せる」とギャツビーは信じていた。
ニックは次第にトムのような約束された環境にいる者たちに潜む空虚な洗練や腐敗に気づくようになり、一方でギャツビーに好意を寄せ始める。やがてデイジーを巡って、トムとギャツビーの口論も始まるが、マンハッタンからの帰途で嫉妬に狂ったトムの愛人マートルがギャツビーの乗った車にひき殺されてしまう。
運転していたのは疲労困憊していたデイジーだった。彼女を心配するギャツビーにニックは告げる。「あいつらはみんなくだらない連中だよ。君にはあいつらをみんな一緒にしただけの価値がある」
しかし、トムにそそのかされて逆上したマートルの夫の手によってギャツビーはあっけなく射殺される。葬儀に参加したのはギャツビーの父親とニックだけだった。幼少時代の話を聞いたニックは、ギャツビーの人生の希望に対する高感度な感受性、希望を見出す非凡な才能、浪漫的心情に心打たれる。
その後、街で何事もなかったように振る舞うトムとデイジーに出くわすが、ニックは握手を求められて戸惑う。ニックは彼を赦すことも好きになることもできなかった。何もかもが不注意で混乱している。トムもデイジーも、品物でも人間でもをめちゃめちゃにしておきながら、自分たちはすっと金だか呆れるほどの不注意で、とにかく二人を結びつけているものの中に退却してしまって、自分のしでかしたごちゃごちゃの後片付けは他人にさせる……。
握手しないのが愚かしいことのような気がして、まるで子供と話しているような気がして、ニックはさりげなく手を握って別れる。中西部へ帰る日の前夜、ウエスト・エッグの海岸に立ったニックはギャツビーが見た夢を想うのだった。
『華麗なるギャツビー(The Great Gatsby)』は東部が舞台となっているが、登場人物たちがみんな西部の人間という点や、同じ金持ちでもトムやデイジーのようなあらかじめの立場とギャツビーのような成り上がった立場など、作家自身の二重ビジョンがここでも投影されている。
そして何よりもニックという一歩引いた語り手を置いたことが、「この作品に複雑で微妙な陰影を与え、重層的な意味を盛り込むことに成功した」(野崎孝氏)。ニックの物語でもあるのだ。
1974年に映画化された『華麗なるギャツビー』では、脚色はフランシス・フォード・コッポラ、甘美なメロディーはフランク・シナトラやリンダ・ロンシュタットとの仕事でも名高いネルソン・リドルが担当。アーヴィング・バーリンのワルツやチャールストン・ステップをはじめとする当時の狂乱のジャズ・エイジのナンバーが様々なシーンで聴こえてくる。ギャツビー役はロバート・レッドフォード、デイジー役はミア・ファローが演じた。
また、豪華なファッションも話題となり、衣装はブロードウェイで活躍していたセオーニ・V・オルドリッジが担当。映画のために1900着も準備したそうだ。中でもメンズ服はラルフ・ローレンが手がけており、ラルフの服はこの映画を機に有名になった。
余談だが、トムとデイジー夫妻が住んでいたイースト・エッグの豪邸は、ロングアイランド州サンズ・ポイントに実在し、1980年代始めにはローリング・ストーンズのキース・リチャーズが半年ほど借りていたという。
2013年にレオナルド・ディカプリオとトビー・マグワイア主演でリメイクされてこちらも大ヒットしたが、音楽が当時の時代設定とはかけ離れたヒップホップなどを用いたために賛否両論になったのは記憶に新しい(ちなみに1926年と1948年にも映画化されている)。『華麗なるギャツビー』は、まずフィッツジェラルドの小説から入って、映画は1974年版から2013年版へと進めていくのがいいかもしれない。(中野充浩)
予告編
レオナルド・ディカプリオとトビー・マグワイア版の予告編
『華麗なるギャツビー』
こちらはディカプリオがギャツビーを演じたリメイク版。
*日本公開時チラシ
*参考/『20世紀文学案内 フィッツジェラルド』(野崎孝著/研究社)
*このコラムは2016年4月に公開されたものを更新しました。
評論はしない。大切な人に好きな映画について話したい。この機会にぜひお読みください!
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