長いキャリアのアーティストやバンドには、音楽的な転機となったアルバムや曲が存在する。
そこから明らかに何かが変わったという作品ということでいえば、オフコースにとって決定的だったのは1975年12月20日発売のアルバム『ワインの匂い』であり、収録曲として発表されて同時発売のシングルになった「眠れぬ夜」だった。これがオフコースにとっては、小規模ながらも最初のシングルヒットになった。
転機に重要な役割を果たしたのは、東芝レコードの担当ディレクターになった武藤敏史である。彼は早稲田大学でアマチュアでバンド活動をしていた頃から、小田和正とはすでに顔見知りの間柄だった。
当時を振り返って「小田、鈴木両氏と死にものぐるいの音楽的格闘をした」と述懐している。武藤はこのときに5年間の活動を整理して、オフコースに足りなかったものは何かという徹底的に分析した。そして「無条件に理屈抜きで楽しめる曲やシンプルな曲が少ないのではないか」という結論に至ったのだ。
そこから生まれたのが、アルバムと同時発売となった「眠れぬ夜」である。小田和正が最初に書いてきた楽曲はバラードだったが、仕上がりは軽やかなポップスになっていた。

「やはり、そうなったのはディレクターのおかげですね。僕だったらおそらく自分の曲でも『眠れぬ夜』をボツにしていたでしょう。ディレクターは、それを強引にシングルにして、僕らを説得しました「(小田和正)
武藤もまた、このように語っていた。
それまでのオフコースはどうも個性がなかった。男か女かわからない。個性もない。悪く言えば人畜無害だった。それをもっと個性的に多くの人に聴いてもらえるようにするには、やはりポップスにするしかなかった。そのためにあえて彼を説得しました」(武藤敏史)
小田は自分の作品ではないような気がして、当初は「あまり好きじゃなかった」と話していた。それでもオリコンチャートで最高48位と、彼らにしては初めてのヒットになったのである。
とはいえこの段階からしばらくの期間は、まだファンのみぞ知るという楽曲でもあった。それが幅広い人たちに知られるようになったのは、1980年に西城秀樹がカバーしてシングル・ヒットさせてからのことだ。

音楽の誕生に関していちばん重要な役割を果たしたのは何か、というと、それは実は受容感覚なのね。表現テクニックじゃなく受容テクニック。まず音楽を聴く感覚が先行して、その中から今度はそういう物を作る感覚なり技術が生まれる。
確かに同じ歌や音楽を聴いていても、人によって受け取り方は実に千差万別である。この言葉は音楽をつくる側に身をおく人たちにとって、今でもそのまま当てはまる名言だと思う。
その点において西城秀樹は洋楽も邦楽も含めて、この受容感覚がきわめて優れていただけでなく、努力の積み重ねでその表現に挑んでいった。
代表曲となった「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」も、この「眠れぬ夜)もオリジナルを凌ぐヒットになったのは、西城秀樹の非凡なる受容感覚を証明している。
(注)本コラムは2019年11月15日に公開されました。
<参考文献>「新譜ジャーナル ベスト・セレクション’70s」(自由国民社) 、小田和正氏と武藤敏史氏の発言は同書からの引用です。
また相倉久人氏の文章は、「さらなる<出発>~相倉久人」(編・中安亜都子)からの引用しました。
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