1976年1月14日。バリー・マニロウが歌う「歌の贈りもの(I Write the Songs)」がビルボード・チャートでナンバーワンに輝いた。
後にグラミー賞最優秀楽曲賞を受賞することになるこの曲は、バート・バカラックの再来とも言われたバリー自身が書いたものではない。作詞作曲は、ビーチ・ボーイズのメンバーだったブルース・ジョンストンである。
ブルース・ジョンストンは、1942年にイリノイ州ピオリアで生まれている。中西部の平均的な都市として知られるピオリアは、市場調査の対象となることでも知られている。
この平均的な中西部の街で生まれたブルース・ジョンストンがビーチ・ボーイズのメンバーとなり、今でもサーフィンを楽しむようになるためには、運命のいたずらがあった。ブルースは孤児だったのである。
養子としてブルースを引き取ったのは、ドラッグストアの重役だった。そしてブルースは彼が住んでいたハリウッドに移り住むことになった。
10代で西海岸のミュージック・シーンに登場することになるブルースは、20歳の時、最初のソロ・アルバムを発表している。そのタイトルが「サーファーズ・パジャマ・パーティ」。頭からつま先まで、全身、西海岸の青年となっていた。
そんなブルースがビーチ・ボーイズに参加したのは1965年のことである。
私は永遠を生きていた
そして最初の歌を書いた
言葉と旋律を結びつけたのだ
私は音楽
私は歌を書く
「歌の贈りもの」を聞いて誰もが、ビーチ・ボーイズのことを考えた。
私は世界中が歌う歌を書く
私は愛と特別なことを歌にする
中でも、ブルースがビーチ・ボーイズに参加した当時、隠遁生活を送っていたバンドの音楽的支柱、ブライアン・ウィルソンについての歌だとする意見が多かった。
一方、この曲のレコーディングを打診されたバリー・マニロウ自身は最初、この歌を歌うことに難色を示したという。
何故なら、この曲の歌詞はよく聞かない限り、あまりに尊大で、自己顕示欲の塊のようにも感じたからである。だが、この曲はビーチ・ボーイズについてのものでも、自己顕示欲を満足させるためのものでもなかった。
「この私、というのは神のことだよ」とブルースは語っている。
私の家はあなたの奥深く
あなたの魂の中
そこが私の住処
中西部に生まれ、西海岸へ移り住み、音楽とサーフィンと仲間たちに囲まれて暮らす自身の人生を、その心の奥底に住む神と共に喜ぶブルースの歌は、バリーの誠実な歌声で、全世界に届けられることになったのである。



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