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自由を愛し、俳優やミュージシャンに愛されたレストランで生まれたイーグルスの「至上の愛」

2018.03.22

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 サンタモニカ・ブールヴァード沿いにあるそのレストランは、ダン・タナスという。ダン・タナの店、という意味だ。
 ダン・タナスは、イーグルスが『オン・ザ・ボーダー』をリリースした1974年の10年前、1964年にオープンして以来、ハリウッドの住民たちに愛されてきた。
 サンディエゴで生まれたキャメロン・ディアスがエリート・モデル・マネジメントと契約したのは、16歳の時だった。ロスに初めてやってきた彼女が連れていかれた店が、タン・タナスだった。
 ダン・タナスは、当然、ダン・タナという男の名前からとられている。

 1933年に旧ユーゴスラビアで生まれたダン・タナは、子供の頃から大のサッカー好きだった。ユーゴスラビアの名門チーム、レッド・スター・ベオグラードが誕生した1945年、12歳だった彼はチームのジュニア・ユースの選手となっている。レッド・スターは、ピクシーの愛称で知られるドラガン・ストイコヴィッチが所属していたチームである。
 1952年、17歳となった彼はレッド・スターのジュニア・チームのメンバーとして、ベルギーに遠征している。ブリュッセルで行われた試合の相手チームは、R.S.Cアンデルレヒト。日本代表の森岡亮太が現在所属しているベルギーの人気チームである。

 事件は、試合後に起こった。
 試合後の夕食会では、ダンスが披露された。ダン・タナはそこでダンサーたちに拍手を送ったのだ。17歳の少年の無邪気な行動だった。だがチームは、西側の資本主義国の文化に拍手を送った選手を、ユーゴスラビアに連れて帰ることはしなかった。
 ダン・タナはその後、カナダなどでサッカー選手としてプレーした後、俳優となり、ロスにやってくる。そしてほどなくして、レストラン業を始めるのである。
 レストラン経営。それはダンの父親の職業であった。だが、共産党政権の下、父親の経営していた店は、チトー政権により没収、国営となってしまっていたのである。
 だからこそ、ダン・タナは自由を愛した。そして彼の店には、ハリウッドの様々な人たちがやってきたのである。
 メニューには、ジョージ・クルーニー風仔牛のカツレツなど、俳優の名前をとったものも少なくなかった。

 この店の常連は、俳優たちだけではなかった。ドン・ヘンリー、グレン・フライは親友のJ.D.サウザーとともに、よくこの店を訪れていたのである。
 彼らは、少ない料理で、何杯も何杯もグラスを空けながら、曲の構想を練った。そしてアイディアが湧かない時には、客の会話にじっと耳を傾けた。


僕は僕の道を見ているし
君は君の道を見ている


「至上の愛」に出てくる一節も、レストランで聞こえてきたカップルの会話だった。
 この曲のギター・パターンを考えたのはグレン・フライだったが、そのパターンは、当時彼がつきあっていたジョニ・ミッチェルから教えられたものだった。ふたりは、この曲ができた後、少しして別れている。
 そして、このアルバムのレコーディング途中に、プロデューサーはグリン・ジョンズからビル・シムジクへと変わっている。イーグルスがより、ハードなロックよりのサウンドを求めたためである。
「至上の愛」は、アコースティック・サウンドとハーモニーにイーグルスの魅力を見出していたグリン・ジョンズの置き土産となったのである。



Eagles『On The Border』
Rhino



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