♪ 1日が長く
青空の下をゆっくり流れていった
頃のことを覚えてる
この世界には悩みごとなどなく
ママとパパがすぐそばにいてくれた
頃のことを ♪
イーグルス解散後、1989年に発表されたドン・ヘンリー3枚目のソロ・アルバムとなる『エンド・オブ・ジ・イノセンス』のタイトル曲はそんな歌詞で始まる。
悩みなき少年時代。
すべてが祝福に満たされていた日々。
だが物語は「そしてその後もずっと幸福に暮らしました(めでたし、めでたし)。。。」とはならない。
少年は、アメリカは、醜い現実と直面せざるをえなくなる。
そのことをこの歌は「エンド・オブ・ジ・イノセンス」~無垢な時代の終焉。無邪気ではいられない、と歌ったのである。
1980年代後半。
大統領は、カリフォルニア州知事から第40代アメリカ大統領となったロナルド・レーガンだった。
レーガン大統領はレーガノミクスと呼ばれる経済の拡大政策で、一気に赤字を膨らませ、その一部は軍隊の強化に使われた。
ベトナム戦争で疲れ果てていたはずのアメリカが再び、グレナダなどに武力侵攻を行った。
ドン・ヘンリーは、少年の目で、レーガン政権を痛烈に批判した。
♪ ああ、美しく、広大なる空よ
だが、このところ天気も荒れ模様だ
彼らが鋤を叩き、剣に変えたからだ
僕らが王として選んだ退屈な
老いぼれのために ♪
「鋤を銃に変える」は、旧約聖書イザヤ書の一節にある言葉を置き換えたものだ。
こうして彼らはその剣を打ち変えて、鋤とし、その槍を打ち変えて、鎌とし、国は国に向かって剣をあげず、彼らはもはや戦いを学ぶことはない
(イザヤ書2章4節より)
退屈な老いぼれは、そのままレーガン大統領のことである。
69歳と349日で大統領に選出された彼は、歴代最年長の大統領だった。
アメリカとは若さの象徴だったはずだ。
だが、国のトップに立っているのは、これまでの大統領の誰よりも年老いた、カリフォルニア州知事だった男だった。
「少年アメリカ」にとって、それは悪い冗談以外のなにものでもなかった。
では、ドン・ヘンリーが「ホテル・カリフォルニア」を書いた時期はどうだったのだろうか。
大統領職にあったのは、ウォーターゲート事件で失脚したリチャード・ニクソンの職を継いだジェラルド・フォードだった。
「長い悪夢は終わった」
フォード大統領はそう宣言したが、その1ヵ月後、ニクソン元大統領を含むウォーターゲート事件の関係者に特別恩赦を与えた。
理想のアメリカ、はすっかり色あせていた。
だからこそ、イーグルスは歌ったのである。
♪ 思い出すために踊る者もあれば
忘れるために踊る者もある ♪
「ホテル・カリフォルニア」の中の有名な一節は、理想のアメリカと現実のアメリカの狭間を歌ったものだ。
実際、イーグルスのメンバーの目にうつるカリフォルニアは理想とはかけ離れた土地になっていた。
ドン・フェルダーは、アルバム「ホテル・カリフォルニア」に収録された曲のタイトルをあげて、当時のカリフォルニアを説明する。
♪ ジョニーは最近この街に
やってきた新顔さ
みんな君に夢中だから
がっかりさせちゃ駄目だぜ ♪
(「ニュー・キッド・イン・タウン」)
「ニュー・キッド・イン・タウン」としてカリフォルニアにやってきて、数曲ヒット曲を出すような成功を収めれば、その瞬間から「ライフ・イン・ザ・ファスト・レーン」だ。
♪ 追い越し車線の人生で
心もなくしちまう ♪
(「ライフ・イン・ザ・ファスト・レーン」)
そして車から降り、バーに入って、そんな日々を振り返るのだ。
♪ 結局、ただ無駄な時間を
過ごしたってことさ ♪
(「ウェイステッド・タイム」)
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