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The Entertainerを聴きながら〜“ラグタイムの王”と呼ばれたスコット・ジョプリンの偉大なる功績〜

2016.04.01

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アメリカの名優ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが主演した映画『スティング』(1973年)といえば、第46回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、美術賞、衣装デザイン賞、音楽賞の7部門で受賞した名作として広く知られている。
1930年代のシカゴを舞台に詐欺師たちが一世一代の大博打を張るこの映画の背景に流れていたのは“ラグタイムの王”と呼ばれたスコット・ジョプリンによる軽妙な音楽だった。
この“ラグタイム(Ragtime)”とは、19世紀終わり頃のアメリカ南部の酒場などで流行ったピアノ曲である。
“Rag”とは、英語で「ぼろ・ぼろ切れ」などを意味する言葉で“Ragtime”は直訳すると「ぼろぼろの時間」といった意味となる。
ピアノでいうと左手で弾く低声部に一定のリズム旋律を作り、右手でずれた(Ragged)主旋律を作る、つまりシンコペーションがラグタイムの最大の特徴なのでこのような名前が付けられたのだと推測できる。
ラグタイムをわかりやすく理解するために、よく引き合いに出されるのがジャズの存在である。
ラグタイムとジャズは、どちらも黒人の音楽(アフロ・アフリカン・ミュージック)をルーツとしているが、アドリブ(即興演奏)の仕方に大きな違いがあるという。
ほとんどのジャズがアドリブで構成されるのに対し、ラグタイムはバロック音楽風の装飾音の付加や、タイミングをずらすといったアドリブを主としている。
つまり、「最低限のメロディとコードを与えられ、あとは演奏者次第」なのがジャズ、「基本は楽譜に忠実な演奏をする(特にクラシック・ラグにおいて)」のがラグタイムなのだ。
リズムに関しても、ジャズでは「スウィングする」などといって独特の“ノリ”が重要視されるが、ラグタイムはマーチ的な規則正しいリズムを基本としている。
そんな“ラグライム”を生み出し、今から約100年前の4月1日に他界したスコット・ジョプリンを偲んで、彼がどんな人生を歩んだのか?その偉大な功績と共にご紹介します。

Scott-Joplin-new
──アメリカ南北戦争が終結して間もない1868年の11月24日。
テキサス州リンデンの近くで、黒人奴隷農夫の父ジャイルと母フロレンスの次男(6人兄弟)として生れたスコット・ジョプリン。
[※一説では1867年6月1日から1868年の1月中旬までの間に出生したとも言われている]
彼は幼い頃からバンジョーを上手く弾きこなし、家族や周囲の大人を驚かせていた。
両親はそんな彼の音楽的才能を伸ばすことに力を惜しまず、特に母のフロレンスは生活費を削ってまで息子にピアノを買い与えたという。
この時代の黒人には教育を受けるチャンスも少なく、仕事も限られていたので「何か自分の身を助ける才能があれば」と母が願ったのだと考えられる。
彼は8歳頃から本格的に音楽を習い始め、10代でダンス音楽の演奏家となる。
14歳(1882年頃)で早くも親元を離れ、ミシシッピー河流域の酒場『メープル・リーフ・サロン』で演奏を始めた彼は、20代でセントルイスやシカゴやミズーリなどをまわって演奏をようになる。
そして27歳になった年(1895年)に、クラシック音楽のピアニスト・作曲家を目指し、黒人のためのジョージ・R・スミス大学で音楽を学ぶようになる。
勉強熱心なジョプリンは、ヨーロッパのクラシック音楽とアフリカ系アメリカ人のハーモニーとリズムを結びつける音楽を探求していたという。
この時の“探求”こそが、後になって“ラグタイム”という新たな音楽ジャンルを生み出すこととなるのだ。
彼は31歳となった1899年頃を境に、自身が生み出した“ラグタイム”の作品を次々と発表する。
翌1900年に「Maple Leaf Rag」を発表し、大きな成功を収める。


程なくして彼は作曲家スコット・ハイデンの妹ベルと結婚をする。
そして1902年、34歳となった彼は後世自身の名前を世界中に知らしめることなる名曲「The Entertainer」を完成させる。
仕事もプライベートも順風満帆に思えた矢先、妻のベルがジョプリンの音楽に理解を示さずに…わずか2年で離婚生活にピリオドを打つ。
39歳となった彼は、1907年に当時33歳だった女性ロッティ・ストークスと再婚する。
前妻のベルと違い、ロッティはジョプリンの音楽を愛していたという。
彼女はジョプリンの財政的な支援を引き受けると共に、彼のための出版社を設立する。
1911年、夫婦でニューヨークへ移り住み、ジョプリンは大学時代に学んだ舞台作品を作り出すことに全精力を注ぐ。
そして、遂に念願の大作オペラ『ツリーモニシャ (Treemonisha)』を完成させる。
この作品は人種の平等をテーマに、主人公の黒人女性ツリーモニシャが教育によって自立し、無知と迷信に縛られた黒人コミュニティを目覚めさせていくという内容で、黒人が書いた史上最初の優れた歌劇と言われている。


彼はこの『ツリーモニシャ 』を上演しようと奔走するが、結局のところオーケストラも衣装も無しで非公式なパフォーマンスを一回やっただけに終わった。
ようやく漕ぎ着けた一般公開では、いくつかのセクションが個別に上演されただけだったという。
妻ロッティの援助もむなしく…その後ジョプリンが生きている間に音楽家として成し遂げたことはほとんどなかったとう。
そして1917年1月、梅毒により精神・肉体に異常をきたし、ブルックリンの病院に運び込まれる。
同時期に認知症にも苦しめられ、入退院を繰り返したという。
最初の入院からわずか3ヶ月後の1917年4月1日、彼は帰らぬ人となる。
死因は直接的には肺炎ということであったが、実際には梅毒による複合的な身体機能の劣化であったといわれている。
享年は48もしくは49と二つの説が残っているのだが、真相は謎のままである。


──ジョプリンのストーリーは、ここで終わりはしなかった。
彼は生前、自身の音楽について「死んでから25年は経たないと本当の評価はされないだろう」と予言していたというから驚きである。
時代と共に彼のラグタイム作品が忘れられてゆく中「Maple Leaf Rag」だけは1920年代や1930年代においても演奏され続けていたという。
そして彼の死から半世紀が過ぎた1970年代初頭、ジョプリンが作った楽曲をまとめた2冊の楽集と、レコーディング作品がリリースされ大きな注目を集める。
彼が作り出した音楽への再評価が高まる中、オペラ作品『ツリーモニシャ』が完全上演され、最終的にブロードウェイで陽の目を見ることとなった。
そして1973年、彼の音楽が使われて大ヒットした映画『スティング』がアカデミー賞で7部門も受賞する快挙を遂げたのだ。
1976年には、その功績が讃えられ“ラグタイムの王”スコット・ジョプリンにピューリッツァー賞(特別賞)が贈らた。
現在、セントルイスでは彼が2年間住んでいた家がScott Joplin Stateという博物館になっており、6ドル払うと見学できるようになっているという。


『The Sting: Original Motion Picture Soundtrack』サウンドトラック

『The Sting: Original Motion Picture Soundtrack』サウンドトラック

(1973/MCA)

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