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スージー・クアトロ「Devil Gate Drive(悪魔とドライヴ)」の快進撃

2022.05.10

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5歳の時、彼らはジャイヴしてたわ!
6歳の時、彼らはキックしてたわ!
あんたのママは知らない 
あんたのシスターがどこでヤッてたか

やるのよ!行くのよ!
悪魔の門へドライヴよ!
悪魔とドライヴするのよ!



1974年(昭和49年)5月5日、スージー・クアトロ「悪魔とドライヴ」(東芝EMI)が日本で発売された。
同年の国内ヒットソングといえば…

1位「なみだの操」/殿さまキングス
2位「あなた」/小坂明子
3位「うそ」/中条きよし
4位「ふれあい」/中村雅俊
5位「恋のダイヤル6700」/フィンガー5

長島茂男(巨人)の現役引退、ガッツ石松がボクシング世界チャンピオンになり、北の湖が史上最年少(21歳2か月)で第55代横綱昇進、セブン-イレブン東京都江東区に第1号店を出店、プリーツスカートやバギーパンツが流行した年でもある。



50年以上のロックキャリアを誇るスージー・クアトロ。
革のジャンプスーツをタイトに着こなし、ベースを弾きながらロックをプレイする彼女のスタイルは、女性ロッカーの草分け的存在として音楽界に大きな足跡を残している。
1950年6月3日、アメリカのミシガン州デトロイトで生まれた彼女。
ジャズメンであった父親のもと5人兄弟の4番目の子として育つ。
7歳から父のジャズバンドでボンゴを叩き出し、ローカルテレビでダンサーを経験した後、1964年に姉のパティとガールズバンドを結成。
当初はモータウン系のR&Bを中心に歌いながら、地元デトロイトを拠点にMC5やジェファーソン・エアプレインらとアメリカ各地をツアーで回る。
1968年にヴェトナムへと渡り、アメリカ兵達の前で演奏をする経験の中でロックの洗礼を受ける。
その後、新たなにハードロックバンドを結成し、ベースを弾きながら歌うスタイルを確立する。
1971年、地元の小さなライブハウスでプレイしていた彼女をミッキー・モスト(アニマルズやドノヴァンのプロデューサー)が偶然発見し「イギリスへ来ないか?」と誘う。
6ヶ月後…二十歳を迎えていた彼女は「このチャンスに賭ける!」と決断し、単身イギリスへと渡る。
ミッキー・モストは、まず1年半かけて彼女をプレイヤーとして徹底的に鍛えあげるためレッスンに通わせる。
その後、RAKレーベルを設立して“期待の新人スージー・クアトロ”を世に送り出す万全の体制を整えた。
そして1973年、シングル「Rolling Stone」でデビューを果たす。


しかし、デビューシングルは不発に終わり…すぐさまミッキー・モストは“次の手”として (後に)ブロンディなどへの曲提供で知られるマイク・チャップマンとニッキー・チンに曲を依頼する。
当時流行していたグラムロックを意識して、彼女に革のジャンプスーツを着るよう提案し、2ndシングル「Can The Can」を放つ。


ミッキー・モストの“読み”は大当たりし、同曲はまたたく間に全英No.1に輝く。
同年に発表した1stアルバム『Suzi Quatro (サディスティック・ロックの女王)』も勢いに乗って大ヒットを記録。
同アルバムからシングルカットされた4曲が全英でトップ10に入るという快挙を遂げる。
翌1974年には、日本やオーストラリアなどにも人気が飛び火し、追い打ちをかけるように放った5thシングル「Devil Gate Drive(悪魔とドライヴ)」が再び全英No.1を記録する。
続けて発表された2ndアルバム『Quatro(陶酔のアイドル)』や6thシングル「The Wild One(ワイルド・ワン)」もビッグヒットを記録し、彼女は女性ロッカーとして不動の人気を手に入れる。



音楽を始めた当初はR&Bに傾倒していたものの、ヴェトナム基地での演奏をきっかけにハードロックへ移行し、さらにミッキー・モストによって徹底的に歌と楽器演奏を教え込まれた彼女。
その自信の表れが、彼女の言葉にみなぎっている。

「アメリカ生まれの私がイギリスからデビューしたからってなによ!ロックに国境がある?」



【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

【TAP the POP佐々木モトアキ執筆記事】
http://www.tapthepop.net/author/sasaki

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