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名曲「ウィズアウト・ユー」を書いた後、自死に追い込まれたバッドフィンガーの2人

2024.04.27

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ビートルズが作ったレコード会社のアップルから1968年にデビューを飾ったアイヴィーズは、ビートルズの弟分的存在として期待されていた。

ところが運が悪いことにアップルの社内で経営をめぐる諸問題が発生したために、デビュー・アルバムの『メイビー・トゥモロー』はイタリアや西ドイツ、日本でしか発売されず、肝心の本国イギリスおよび最大のマーケットであるアメリカでは見送られてしまった。

出足から大きく躓いた形のアイヴィーズは、1969年に「バッドフィンガー」と名前を改めて再出発する。

リンゴ・スターの主演する映画『マジック・クリスチャン』のテーマ曲として、ポール・マッカートニーが提供した「Come and get it」をヒットさせて、ようやく軌道に乗ることができた。

こうして第一歩を踏み出したところに大きなチャンスが巡ってきた。

セカンド・アルバムの『No Dice (ノー・ダイス)』からシングル・カットした「No Matter What(嵐の恋)」が、1970年にアメリカで全米チャートの8位まで上昇するヒットになったのだ。

彼らは来るべきアメリカ進出とツアーに備えてマネージャーを探し、ニューヨークでやり手といわれたスタン・ポリーと契約する。

成功したシンガーやバンドの陰にはビートルズにおけるブライアン・エプスタイン、U2のマネージャーを務めていたポール・マクギネスなど、優秀なマネージャーがいることが多い。

だが、時として強欲で悪辣とも言えるマネージャーも存在する。ブルース・スプリングスティーンにとってのマイク・アペルを筆頭に、不平等な契約や不明朗な金銭問題で法廷に争いが持ち込まれた訴訟沙汰も数多くある。

そうした中でも特に悪名高いのが、スタン・ポリーだった。

アル・クーパーやルー・クリスティを筆頭に多くのクライアントに抱えていたが、担当アーティストと共同で設立した会社の利権を食い物にしたと言われている。

バッドフィンガーは1971年12月に3枚目のアルバム、『ストレート・アップ』をリリースした。そして代表曲となる「デイ・アフター・デイ(Day After Day)」は、アメリカでシングルカットされると全米チャート4位のヒットになった。


さらにはアメリカのシンガー・ソングライターのニルソンが、『ノー・ダイス』に収録されていた「ウィズアウト・ユー」を見つけ出してカヴァーした。

そのシングル盤は1972年2月に全米チャートと全英チャートで、ともに1位に輝く大ヒットを記録したのである。ヒットは全世界にまで波及し、アイルランド、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドでも1位になった。

「ウィズアウト・ユー」を作ったのは、バッドフィンガーのリーダーであるピート・ハムと、ヴォーカルでソングライターのトム・エヴァンズだった。

だがニルソンによって世界的な大ヒット曲が生まれたにもかかわらず、作者であるピートとトムにはほとんど印税が支払われなかったという。

マネージャーのスタンとの間に交わした契約で、ソング・ライティングの権利は共同で作った会社のものとなり、ピートとトムはそこから給料を受け取る形になっていたのだ。


バッドフィンガーにとって不運だったのは、その頃のアップル・レコードが財政的に不安定になったことだ。

そのためにスタンは成功を目前にしていたバッドフィンガーを売り込もうと、アメリカのワーナーとの間で巨額の契約交渉を始めた。それを知ったアップルの首脳陣は、裏切りと受けとめてバッドフィンガーとの間に亀裂が生じる。

アップルは1973年にバッドフィンガーとの契約が切れることになっていた。そこで9ヶ月もかけて制作した4枚目のアルバム発売を、イギリスでしばらく見送るという仕打ちに出たのである。

バッドフィンガーは1974年にアップルからワーナーに移籍したが、どこでボタンを掛け違えたのか、その後もスタンとの金銭管理をめぐる揉め事が続いた。そしてバンド内でもメンバー同士の精神的な軋轢がひどくなっていく。

追い打ちをかけたのは、ワーナーから訴訟を起こされたことだ。スタンとの契約で発生した不明瞭な金銭の扱いをめぐるトラブルによって、アメリカで全作品の販売が差し止められた。1975年に入ると、彼らのレコードが店頭から引き上げられてしまう。

ピートが「マネージャーを道連れにする」という遺書を残して、自宅ガレージで首吊り自殺を遂げたのは1975年4月24日のことだった。

自死を選ぶ前日の晩、、ピートはトムと一緒にウィスキーを飲んでいたいう。そしてスタンのアシスタントだった男から電話で、マネージャーの悪業の数々を聞かされてショックを受け、翌朝には変わり果てた姿となって発見された。

3日後に誕生日を迎えれば28歳になるはずだったピートは、27歳で亡くなったミュージシャンの名前の列に加わることになった。トムもまたその後、1983年11月19日に自宅の庭の木で首吊り自殺を遂げてしまう。

しかしながら名曲「ウィズアウト・ユー」は、後世に歌いつがれて生き続けている。近年ではマライア・キャリーが大ヒットさせて、スタンダード・ソングとして世界中で愛されている。


※このコラムは2014年11月5日に公開されたものです


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