トム・ウェイツは10歳のときに両親が離婚したため、母と姉2人とサンディエゴに引っ越す。父の不在の寂しさをまぎらわせてくれたのは彼のくれたラジオで、そのスピーカーからはカントリー音楽が頻繁に流れてきた。30年代の大恐慌以降、中西部からたくさんの人びとが仕事を求めて移住したので、南カリフォルニアでは彼らの嗜好を反映してカントリー音楽の人気が高かったのだ。
トムが最初に魅せられた曲は59年の全米ナンバーワンヒットのマーティ・ロビンズの「El Paso」だった。開拓時代の西部のカウボーイの物語で、彼はテキサスの国境の町で愛するメキシコ娘のために人を射殺して追われる身となる。この曲のような米国各地を舞台にしたカントリーのヒット曲が、若き日のトムの想像力をかきたてた。
そんな彼にとっての最大のヒーローはジョニー・キャッシュだった。キャッシュは優れた語り部として知られ、『Ride This Train』や『Sings The Ballads Of The True West』(西部の伝説を歌う)のような傑作コンセプト・アルバムを発表していた。
ラジオで彼の歌声を初めて聴いてから30数年後、トムは師にお返しをする機会を得る。キャッシュの録音に参加した彼のギタリスト、スモーキー・ホーメルが教えてくれた。「ジョニーは他の人の書いた曲も録音している。何か送ってくれよ」
トムには白人ブルーズ歌手ジョン・ハモンドに書下ろしたが、その旧友が録音しなかった曲があった。(*1)
自分に言った。“なあ、ここにはジョニーが好きなものが全部入っている──汽車、死、ジョン・ウィルクス・ブース(リンカーン大統領の暗殺者)、十字架・・・申し分ないぞ!”
トムは改めてデモを録って、プロデューサーのリック・ルービンへ送った。その曲「Down There By The Train」は94年の『American Recordings』で取り上げられた。
キャッシュは舞台で歌う前にこう話していた。「アルバムの中でも特に気に入っている曲はトム・ウェイツが書いた曲だ。贖罪についての曲、贖罪の汽車の曲だ」。トムは大喜びだった。
音楽をもうやめてもいい。これで俺はすべてを成し遂げたよ。ジョニー・キャッシュが俺の曲を歌ってくれたんだから!
トムの作者版はキャッシュの死から3年後、06年に発表した編集盤『Orphans』に収められている。
(*1)トムには白人ブルーズ歌手ジョン・ハモンドに書下ろしたが、その旧友が録音しなかった曲があった。
その後、2001年にジョン・ハモンドはトム・ウェイツ自身がプロデューサーを引き受け、トムの作品12曲(加えて、ゴスペルが1曲)を歌ったアルバム『Wicked Grin』を発表した。その次作となる2003年の『Ready for Love』でも2曲歌っている。ただし、「Down There By The Train」は取り上げていない。
トム・ウェイツ『Orphans』
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