1958年1月22日、27歳の誕生日を迎えた青年はゴスペル歌手サム・クック(Cook)ではなく、成功したポップ歌手サム・クック(Cooke)だった。
前年9月にキーン・レコードから発売されたポップへの転向第1弾「You Send Me」は、見事に全米第1位に輝くミリオン・セラーとなったのだ。ゴスペルの世界からの非難を覚悟しての世俗歌手への転身の賭けは見事に成功した。
スターの座に就いたサムにとっての最初の挑戦が、2月のニューヨークの有名ナイト・クラブ、コパカバーナ出演だった。ロックンロールと呼ばれた10代向けの新しいポップ音楽は一時期の流行に過ぎず、やがて下火になると考えられていたし、この時点ではサム自身もそう考えていたからだ。
だが、サムは白人がほとんどの高級クラブの観客に慣れていなかったし、彼らもサムのようなゴスペル育ちの歌手の音楽をよく知らず、体を微動だにせずに聴いているだけだった。
彼がコパに戻ってきて、大成功を収めるのはそれから6年後、64年のことになる。コパ初出演が失敗に終わった後、サムはロックンロールのパッケージ・ショウ「ビッゲスト・ショウ・スターズ」に加わって、クライド・マックファターやエヴァリー・ブラザーズらと全米各地を回る。
巡業自体はゴスペル時代に経験を積んでいたサムだが、白人と黒人両方の若者が集まるロックンロール・ショウは特に南部に行くと反発も強く、人種差別の現場に幾度となく遭遇する。
そんな体験がサムに黒人意識や公民権について考えさせる。それが作品や行動にはっきりと現れてくるにはまだ年月が必要だったが、58年後半にその兆しも見つけられた。サムは白人のような直毛を真似て髪の毛を加工することを止めたのだ。その決断は黒人歌手仲間には驚きだった。
その中の一人、ジェリー・バトラーは自分と共通する育ちの人の中で、黒人らしさにそのような誇りを持つ知り合いはいなかったと振り返っていた。そんな黒人意識の高まりが63年に「A Change is Gonna Come」のような曲を書かせることになる。
*このコラムは2014年9月に初回公開されました。
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