ストロークスがデビュー・アルバム『イズ・ディス・イット』をリリースしたのは2001年7月30日のことだった。
ガレージロックを彷彿とさせるシンプルで勢いのあるサウンドと、洗練された都会的な空気感は、レディヘッドやコールドプレイのような内省的なものが人気を集めていた当時のロックシーンにおいて新鮮に響いた。
アルバムの大ヒットとともにストロークスは一躍、21世紀の新しいロックシーンを牽引するバンドとして注目を集める。
そしてストロークスの登場以降、シンプルなガレージロックバンドが人気を集めるようになり、その現象はガレージロックリバイバルと呼ばれるようになった。その後登場した多くのロックバンドが、ストロークスから影響を受けたことを口にしている。
そんなストロークスのメンバーが好きな音楽は多岐にわたるが、彼らの共通点の1つがヴェルヴェット・アンダーグラウンド(ヴェルヴェッツ)だ。
2004年にストロークスのメンバーとルー・リードによる対談が実現した際、ルー・リードはストロークスのアルバムを称賛した。
「サウンドはシンプルだが、それをやるのは簡単なことじゃない。再びこういった音楽を作るバンドが出てきたのは素晴らしいことだ」
それに対して「あなたがいなかったら生まれなかったし、俺たちはここにいません」と答えたのは、ボーカルでソングライティングも手がけるジュリアン・カサブランカス。
カサブランカスがヴェルヴェッツの音楽と出会ったのは高校時代だった。
幼馴染でストロークスのベーシストであるニコライ・フレイチュアの兄、ピエールからクリスマスにヴェルヴェッツのアルバムをもらったのだ。ヴェルヴェッツの音楽はストロークスのメンバー間で共有され、彼らの指標のひとつとなったのである。
そんなカサブランカスだが、一番好きな曲として挙げているのはヴェルヴェッツやルー・リードの曲ではなく、サム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」だ。
カサブランカスは2003年にローリングストーン誌のインタビューでこのように答えている。
「サム・クックの『ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム』は俺を苛立たせるんだ。だってどれだけ俺が頑張ろうとも、これほどいいものなんてできないんだから」
1931年にミシシッピ州のクラークスデイルで生まれたサム・クックは、2歳のときに厳しい人種差別から逃れるため、家族とともにシカゴへと引っ越している。「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」は、そんなサムの生い立ちと重なるようにして始まる。
俺の生まれは川のそば
小さなテントの中だった
それ以来、あの川のように
俺はさまよい続けてきた
サムがこの曲を書いたのは公民権運動真っ只中の1963年のことだった。当時ポップシンガーとして成功を治めていたサムは、公民権運動の中で支持されているボブ・ディランの「風に吹かれて」に感銘を受ける同時に、ポップスを歌っていることが恥ずかしくなったという。
そんなサムが満を持して書き上げたプロテスト・ソングが「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」だった。
ここまで随分と時間はかかったけど
分かっているのは
何かが変わろうとしてるってことだ
そう、必ず
しかしサムはこの曲が発売される10日前、モーテルで管理人の女性に射殺されてしまう。享年33。サムが管理人を強姦しようとしたという警察の発表に、多くの黒人が疑問と怒りを覚えた。
サムの死後にリリースされた「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」は、カーティス・メイフィールドの「ピープル・ゲット・レディ」と並んで、公民権運動のアンセムとなり、時代の変化を促してくのだった。
時は流れて2001年。21世紀の新しいロックンロールを提示したのは、時代の変化を信じる「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を聴いて、悔しさを滲ませた青年とそのバンドだった。
ジュリアン・カサブランカスによるヴェルヴェッツの「ラン・ラン・ラン」
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