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「マンチェスターとリヴァプール」~人々は希望と不安を抱えて生きている 、幸せを目指して~

2017.05.25

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アラン・ドロンの出世作となったフランス映画『太陽がいっぱい』(1960年)で、ヒロインとしてデビューしたマリー・ラフォレはその美貌で女優として活躍するが、もともとは歌手志望であったことから次第に活動の主軸を音楽へと移していった。

1966年に発表してヒットした「マンチェスターとリヴァプール」は、イギリスの工業都市と港湾都市を舞台にした失恋の歌。

マンチェスターとリヴァプールというふたつの都市をさまよい歩いても、かつて「愛している」と言ってくれた恋人の声はよみがえるが、失われた美しい恋はもうみつからないという内容だった。

マンチェスターは雨の中
リヴァプールはもう見つからない
今日の霧の中で
恋も失われてしまった


「雨」や「霧」はイギリスの象徴なので、ヒットした当時はフランスのシャンソンでありながらも、異国情緒をねらった作品と言われたようだ。
歌詞は悲劇的だが「愛しています、愛しています」というサビが印象的で、特徴あるリズムのせいだろうか、全体の曲調からは品のいいポップスに聴こえる。

これを作曲したアンドレ・ポップは1967年にヴィッキーが歌った「恋はみずいろ」を提供し、ユーロビジョン・ソング・コンテストでは入賞に終わったが、翌年にインストゥルメンタルのカヴァーが大ヒットする。




フランスのヒット曲「マンチェスターとリヴァプール」を1968年に、イギリスでカヴァーしたフェラスはスコットランド出身のグループだが、デッカ・レコードから英語詞によるシングル盤を出した。
しかしイギリスではまったく売れず、UKチャートでは圏外のままに終わっている。

ところがマリー・ラフォレのオリジナルがまったく売れなかった日本で、英語のヴァージョンが1968年の秋から69年にかけて大ヒットした。

そこには日本人受けするメロディーだったというだけでなく、時の運というものが味方をしたことが大きかった。

ポール・モーリアがアレンジしたインストゥルメンタル曲、「恋はみずいろ」がBillboard Hot 100で5週連続1位になったのは、1968年の2月から3月にかけてのことだ。
(ちなみにフランスの曲が全米チャートで1位に輝いたのはこれが最初で最後になる)




それに少し遅れて日本でもヒットしてロングセラーになった。
ビートルズやサイモン&ガーファンクル、ビージーズ、モンキーズ、オーティス・レディングなどのヒット曲が次々に生まれていた時代に、イージーリスニング調の美しい曲がヒットしたのは、作曲したアンドレ・ポップのメロディーとポップス・センスが日本人に好まれたからだ。

日本ではヴィッキーの「恋はみずいろ」も、それなりにはヒットしていたのだった。

アンドレ・ポップの曲に日本人がすっかりなじんできた頃に、本国ではまったく無名だったフェラスの「マンチェスターとリヴァプール」はがタイミングよく発売されることになった。



ちょうど同じ時期に、紅一点の今陽子がヴォーカルを受け持つピンキーとキラーズが、デビュー曲の「恋の季節」で爆発的なヒットを放った。
幸いなことにどちらもレコード会社はキングレコードだった。

フェラスの女性ヴォーカルの名前はキャロライン・ガードナー(Caroline Gardner)だったが、キングレコードの担当者はそれをピンキーにして、アーティスト名をフェラスではなくピンキーとフェラスにしたのではないかと思われる。

ピンキーとキラーズが「恋の季節」を発売したのが1968年7月20日、ピンキーとフェラスの「マンチェスターとリヴァプール」はその年の終わりから翌年にかけてヒットした。

洋楽ヒットチャート大事典(小学館)によれば1969年の年間チャートで4位だった。
ドアーズの「タッチ・ミー」やローリング・ストーンズの「ホンキートンク・ウイメン」、フィフス・ディメンションの「輝く星座」などよりも上位にランクされる大ヒットになったのだ。

フェラスのカヴァーした「マンチェスターとリバヴァプール」の歌詞は、オリジナルの失恋ソングとは違って都市生活者を励ますように、小さな希望が歌われている。

  

マンチェスターとリヴァプール
 騒がしいし せわしなくて 典型的 
 多くの人々はそれぞれに
 希望と不安を抱えながら生きている
 みんな幸せを 目指して





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