マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)の南部伝説
それは1941年の8月31日の日曜日のこと──ワシントンDCの国会図書館でフォークソング記録の管理をしていた民俗学者アラン・ロマックスは、朝早く何の予告も抜きでミシシッピ州のストーヴァル・プランテーションに到着した。そして、この農園の監督を見つけてここで働く黒人たちと接触することを伝えた。
ロマックスの目的は、ある男を探し出して録音すること。その男はクラークスデイルから1号線に沿ってミシシッピ川へと扇状に広がる、デルタの細長い区域では有名なブルーズマンだった。裏道には飲み屋がたくさんあり、男の名は知れ渡っていたが、それは限られた世界だけの話だった。
実は当初はロバート・ジョンソンを録音しようと、ロマックスはミシシッピ・デルタに足を踏み入れた。しかし、既に死亡していたことを知り、代わりにロバート・ジョンソンのように弾ける男の存在を知ったのだ。
しばらくすると、農園の食堂にその男がやって来た。仲間の密造酒業者にタレ込まれたのではないかと思った。しかし、ロマックスが持参したギターを見て、そんな心配はなくなった。ウィスキーを飲みながら話していると、男とロマックスの間には信頼感が生まれ、録音機材を一緒に運んでいた。
俺の名前はマッキンリー・モーガンフィールド。ニックネームは“マディ・ウォーター”。ストーヴァル農園の名高いギター弾きだ。
自己紹介が終わると、マッキンリーはサン・シムズの伴奏で手始めに「Burr Clover Blues」を歌った。“マディ・ウォーター”とは、少年時代によく泥だらけになって遊んでいたので、おばあちゃんがつけた愛称だった。
昼食から夕食の時間まで、椅子に腰深く座った28歳のマッキンリーは木製のギターと歌だけで何曲もレコーディングした。その中にはのちに「I Feel Like Going Home」として知られることになる「Country Blues」も入っていた。
「このブルーズを作ったのはいつ頃だったんだい?」
「俺は1938年にこのブルーズを作った」
「その年のいつ頃?」
「1938年の10月8日頃に作った」
「歌い出した時、自分がどこにいて、どんな風に曲ができたか覚えてないかい?」
ロマックスは数時間過ごした目の前の男の芸術性に完全にノックアウトされていた。確信に満ちたパフォーマンス、巧みな演奏、声とギターの関係すべてに。歌い方には無上の優しさが込められ、ロマックスにはチャーリー・パットンやサン・ハウスやロバート・ジョンソンよりも魅力的に映った。
「私が訊きたいのは、君がどこに座って何を考えていたかなんだ」
「車のパンクを直してた時だ。女に酷い仕打ちをされたばかりで。だからそのことが頭にあって歌い出したような気がする」
「個人的な問題に立ち入る気はないけど、もう少し詳しく話してくれないか?」
ロマックスはこう思っていた。マッキンリーの自作曲は単なるブルーズではなく、洗練されたエロスと深い感傷をたたえたデルタのラブソングだ、と。だから事実が知りたかったのだ。普段よりも少し緊張した声で、マッキンリーはインタビューに答えていた。
俺はただブルーな気分だっただけさ。そしたら曲が不意に浮かんできた。俺は何も考えずに歌い出し、そのまま続けていった。
翌年の夏も、録音班が戻ってくると、マッキンリーは数曲をレコーディング。これらの経験と自信が男に決意させたのだろう。1943年、マッキンリー・モーガンフィールドはデルタを出てシカゴへ向かう。いよいよ始まろうとしていた──“マディ・ウォーターズ”の誕生だ。
アラン・ロマックスが1941年と1942年に農園で行ったこの模様は、『The Complete Plantation Recordings』となって現在入手できる。マディ・ウォーターズの“原風景”が聴こえてくる貴重な録音集だ。マディへのインタビューも聞ける。戦前の南部ブルーズやアパラチアのヒルビリーなど、アメリカの民俗音楽を街頭や農場で録音し、分析研究で多大な実績を残したのが、ジョン&アラン・ロマックス親子だった。
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*参考・引用/『ザ・ブルース』(マーティン・スコセッシ監修/ピーター・ギュラルニック他編/奥田祐士訳/白夜書房)
*このコラムは2017年1月に公開されたものを更新しました。
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『フィール・ライク・ゴーイング・ホーム』(Feel Like Going Home/マーティン・スコセッシ監督)
『ソウル・オブ・マン』(The Soul Of A Man/ヴィム・ヴェンダーズ監督)
『ロード・トゥ・メンフィス』(The Road To Memphis/リチャード・ピアース監督)
『デビルズ・ファイヤー』(Warming By The Devil’s Fire/チャールズ・バーネット監督)
『ゴッドファーザー&サン』(The Godfathers And Sons/マーク・レヴィン監督)
『レッド、ホワイト&ブルース』(Red, White & Blues/マイク・フィギス監督)
『ピアノ・ブルース』(Piano Blues/クリント・イーストウッド監督)
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■中野充浩のプロフィール
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