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【追悼】ジェイク・H・コンセプション~ジャンルの壁を超えて日本の音楽史に数多の名曲を残した唯一無二のサックス奏者

2017.12.15

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歌謡曲が全盛だった1970年代から80年代にかけて、ジェイク・H・コンセプションはサックスがフィーチャーされたヒット曲の過半数を、ひとりで吹いていたのではないかといわれるくらい、数えきれないほど多くのヒット曲で印象的な演奏を残している。

なかでも名演と呼ばれているのが、松田聖子の「SWEET MEMORIES」である。
そのときを振り返って、ジェイクはこう語っていた。

松田聖子さんの「SWEET MEMORIES」は特によく覚えています。CBSソニー信濃町でのレコーディングで、ダビングでした。譜面にはアドリブとだけ書いてあって、アレンジャーの大村(雅朗)から、「ジェイク、頼むよ!」って言われてね。楽勝だと思いました。リリースされているものは、テイク1のものですね。
当時、聖子さんのコンサートで地方行くと、コンサート終了後に、その地方のクラブで演奏しているプレイヤーが楽屋に訪ねてきて、「SWEET MEMORIES」のフレーズはどうしたらうまくプレイできるのか教えてほしい」なんて言われたこともけっこうありました。


こうしたジェイクの言葉をふくむ貴重なインタビューからなる労作、「ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち」には、ジェイク・H・コンセプション主要参加作品リストが載っている。

そこから目についた順にいくつかピックアップしてみただけで、歌謡曲が力を持っていた時代が浮かび上がってくる。

杏里「悲しみが止まらない」
石川秀美「愛の呪文」
岩崎宏美」聖母たちのララバイ」
欧陽菲菲「ラヴ・イズ・オーヴァー」
菊池桃子「もう逢えないかもしれない」
小泉今日子「なんたってアイドル」
郷ひろみ「お嫁サンバ」
近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」
西城秀樹「YOUNG MAN(YMCA)」
斉藤由貴「卒業」
坂本冬美「夜桜お七」
シブがき隊「100%‥‥SOかもね」
田原俊彦「ハッとして!Good」
中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」
原田知世「時をかける少女」
本田美奈子「1986年のマリリン」
松田聖子「SWEET MEMORIES」
松任谷由実「時をかける少女」
森川由加里「SHOW ME」
わらべ「もしも明日が」


これらを全部、ジェイクが吹いていたのである。

ジェイクはまた、規模の大きなコンサート・ツアーにも参加しているが、特に有名なのは吉田拓郎だろう。
1979年12月5日に発表された吉田拓郎のライブ・アルバム『TAKURO TOUR 1979 Vol.2 落陽』では、ファンの間で伝説となっている篠島アイランドコンサートにおける「あヽ青春」や「落陽」、「人間なんて」のプレイを聴くことができる。



1970年代前半の日本では、ポップス系やフォーク・ロック系のシンガー・ソングライターたちが、それまでの歌謡曲とは明らかにテイストが異なる音楽で若者たちの支持を集め始めていた。

なかでも脚光を浴びたのが吉田拓郎や井上陽水、赤い鳥や風、荒井由実などだった。
彼らの楽曲やアルバムがヒットするようになったことで、それらを称してニューミュージックという言葉が使われるようになった。

サウンドを重視するニューミュージックの影響は歌謡曲にまで及び、70年代の半ば頃からはレコーディングにおける編曲のレベルが上がった。
それにともなってミュージシャンには、それまで以上に高い演奏技術が求められた。

そのために腕の立つスタジオ・ミュージシャンに仕事が集中するなかで、とりわけ引っ張りだこになったのが、フィリピン生まれのジェイク・ヘルナンデス・コンセプションだった。

1959年には23歳で単身来日したジェイクが、日本のジャズ・シーンで頭角を現してきたのは70年代に入ってからのことだ。
1973年には「やさしく歌って」「「明日に架ける橋」「我が心のジョージア」などのスタンダード・ソングを、前田憲男トリオをバックにして演奏したアルバム『エモーション』を発表している。



そんなジェイクがヒット・ソングに欠かせない存在になっていくのは、都はるみの「北の宿から」が1976年に大ヒットしてからだろう。
イントロに流れてくるサックスは、アメリカ人的な乾いた力強さとも、日本人的な湿った哀愁とも違う、独特のあたたかさが感じられる。
それがいつもに比べて抑えた唱法だった都はるみの歌声を、大いに引き立てていたのだ。

これ以降、ヌケが良くて明るいサウンドが重宝されたことと、トータルの楽曲を理解する能力に長けていたことから、ジェイクはスタジオ・ミュージシャンとしての仕事が一挙に増えていった。

しかもメロディアスで切れのいいフレーズをアドリブで苦もなく弾いてくれるのだから、歌謡曲のみならずやポップスやロックの分野でも、ジェイクは新進気鋭の若手から大御所のアレンジャーたちの間で、引く手あまたの存在になったのである。

ジェイクは吉田拓郎やさだまさし、中島みゆき、松任谷由実など、日本を代表するアーティストのアルバムに参加する一方で、80年代アイドルも一手に引き受ける売れっ子になった。
そして結果的にはジャンルの壁を取り払うという役割も果たした。

「ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち」の最後に、ジェイクはこんな言葉を残している。

改めて当時を振り返ってみると、音楽業界も上り調子だったし「楽しかった!」のひと言に尽きます。
自分が関わったレコーディングの中で何がベストかって? 僕の中では、参加した楽曲すべてがベストですよ(笑)!


スタジオ・ワークスに携わる音楽人の間では知らない人がいないくらい有名だったジェイクだが、いまでも接することができるのはサックス・プレイで、写真などはそれほど残されていないが、キリンラガービールのCMで姿を見ることができる。
ここではいかりや長介と二人、サックスではなくヴォーカルでベテラン・ミュージシャンならではの渋い味を出している。



『ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち』(単行本)
DU BOOKS

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