フォーク歌手と言われた吉田拓郎だが、実は彼の音楽の大根(おおね)のところにあったのは、黒人音楽のリズム・アンド・ブルースだ。
高校時代から広島フォーク村で一緒の音楽仲間で、プロになってからはマネージャーを務めた伊藤明夫によれば、アマチュア時代からリズム・アンド・ブルースを歌わせたら敵うものなど誰もいなかったという。
代表曲の「襟裳岬」や「おきざりにした悲しみは」、「旅の宿」、「花嫁になる君に」、「ビートルズが教えてくれた」、「祭りのあと」、「落陽」などを作詞したソングライティングのパートナー、岡本おさみとの対談で、吉田拓郎がリズム・アンド・ブルースについてこんなふうに語っている。
ぼくはものすごくリズム&ブルースが好きなわけ。R&B。
黒ん坊のそれがなぜ好きかって言うと、たとえば、
「朝起きるとベッドの周りにブルースが歩いてた。
パン食べようと思って割ったらパンの中にブルースがつまってた」
そういうのが最高の歌の詞だと思うけどさ。それだけさ。
だけど音楽として成り立たせる、なおかつ客をノセる音楽。
それがすごく好きなのね。昔から、そういうのやりたくてしょうがないんだ。
1971年8月7日の昼から9日未明まで、岐阜県の椛の湖(はなのこ)の湖畔で開催された第3回全日本フォークジャンボリーは、観客もピーク時は2万5000人を超えたが出演者もかなりの数になった。
そのなかでも後世に語り継がれて有名になったのは、吉田拓郎(当時はよしだたくろう)のパフォーマンスだった。
8日の夜、フォークのサブステージに出た吉田拓郎はPAトラブルで音が出なくなり、マイク無しの生音だけで「人間なんて」を歌い始めた。
出演者と観客の一部にアルコールが入っていたせいもあってそれが盛り上り、同じ歌詞だけをくり返すことで観客は煽られ、あるいは観客に煽られて吉田拓郎は歌い続けた。
PAトラブルで音が出なくなった突発的な状況で、昔からやりたくてしょうがなかったという”客をノセる音楽”を、とっさに出来てしまうところが天才的パフォーマーのなせるわざだろう。
「人間なんてラララララー」のくり返しの合間に、ときおり歌詞のほか、アドリブで叫びや言葉が挟み込まれた。
同じ歌詞が延々と繰り返されてトリップしていく感覚、それは吉田拓郎の音楽の根幹を支えているリズム・アンド・ブルースやゴスペルにも通じている。
フォーク・ジャンボリーのサブステージを観た観客はわずか数100名程度で、メインステージと較べればごく小規模だった。にもかかわらず、知る人ぞ知るこのライブ・パフォーマンスが、日本の音楽史における伝説になっていく。
それは翌年にメジャーから出した「結婚しようよ」が大ヒットし、吉田拓郎の人気が爆発したせいばかりではない。
一度ステージの上に立ったら、どんな状態であっても観客と正面から対峙して、からっと理屈抜きに歌いこなすことができる。
笑ったり泣いたり、その時そのときの自分を裸で出せる。
そうした人間としての潔さが、象徴的に伝わるエピソードだったからだろう。
(注)文中にある吉田拓郎の発言は、岡本おさみ著「ビートルズが教えてくれた―岡本おさみ作品集と彼の仲間たちとの対談」(自由国民社1973年発行)からの引用です。
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