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失意の中で慰めあって作った「追憶のメロディ」~ダリル・ホール&ジョン・オーツふたりの原点

2015.10.12

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ホール&オーツはRCAに移籍して1976年に「サラ・スマイル」をヒットさせたが、その勢いに乗る形でアトランティックは過去のシングル曲「追憶のメロディ(She’s Gone)」を急遽、その年に再リリースした。

1974年にタヴァレスがカヴァーしてソウル・チャートで1位になった「追憶のメロディ」だが、ホール&オーツのオリジナルはビルボードのシングルチャートで60位止まりだった。
しかしこの再リリースで、ホール&オーツの「追憶のメロディ」もシングルチャートで7位のヒットになった。

掛け合いやハーモニーはタヴァレスに負けないくらいにソウルフルで、今でもライヴでは必ず歌っているように、二人にとっては大切な一曲だ。

長く一緒に活動してきたけど、実は共作はそんなに多くないんだ。驚かれるけどお互い別々に作ることが多かった。でもこの曲は二人で全て作った。共作した中で一番良い曲だと思う。僕たちの原点と言える作品だ。(2011年NHK「SONGS」ダリル・ホールインタビューより)


ダリル・ホールは恋人になるサラ・アレンに出会う前、ブライナという女性と結婚していたが1972年の年の暮れに離婚した。
ジョン・オーツも当時のガール・フレンドに約束をすっぽかされて、同じ時期に失恋してしまった。

失意の中にいた二人が大晦日の夜、慰め励まし合いながら夜通しかけて作ったのが「追憶のメロディ」だった。

朝起きて鏡をのぞいたら
彼女が残して行った歯ブラシよりも
僕はくたびれていたんだ
僕の顔がすっかり若さを失ってしまったのは
恋の痛手のせいなんだよ

彼女は行ってしまった
この現実に向き合うべきなんだ
彼女は去って行ったんだ
彼女のかわりがいるのなら悪魔に報酬を払ったっていいんだ
彼女は行ってしまったのさ
一体何が悪かったっていうんだ?


この曲が収録されていた彼らの2枚目のアルバム『アバンダンド・ランチョネット』は、アトランティックから1973年に発売された。
プロデューサーはアリフ・マーディン。

まだ二人が故郷のフィラデルフィアからニューヨークに移り住む前に作られた曲がほとんどで、フィラデルフィア・ソウルの影響が色濃く感じられる。

アヴァンダンラン

当時のダリルとジョンが「僕らの中にあるものをすべて投げ込んで作った自信作」だったアルバムは、発売した1973年には4万枚しか売れなかった。

だがRCAに移籍したホール&オーツの成功があって、『アバンダンド・ランチョネット』はセールスが伸びてゴールド・ディスクにも輝いた。

このアルバムからは「追憶のメロディ」のほかにも、最近のライヴで演奏されている歌がある。
それは「ラスヴェガス・ターンアラウンド(ザ・スチュワーデス・ソング)」、客室乗務員(スチュワーデス)をしていたサラについて、ジョン・オーツが作った歌だった。

ダリルが妻のブライナとの関係が暗礁に乗り上げていた頃(ダリルとブライナとジョンの三人は一軒家に同居していた)、ジョンが家の前の通りを眺めていた時にたまたま通りかかった二人の女性に気軽に声をかけた。
その一人が、当時チャーター機の客室乗務員をしていたサラだったのだ。

「サラ・スマイル」にも歌われたように、サラは約30年間に渡ってホール&オーツの楽曲制作にも関わりながら、公私ともに恋人のダリルを支えていくのだった。


参考文献:「ホール&オーツ ロックン・ソウルを求めて」林洋子著 シンコー・ミュージック

(阪口マサコ)

「追憶のメロディ(She’s Gone)」


「ラスヴェガス・ターンアラウンド(Las Vegas Turnaround)」(2012年シドニーでのライヴより)



「追憶のメロディ(She’s Gone)」Tavares

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