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アルコール中毒者の現実に向けられたギル・スコット=ヘロンの眼差し「ザ・ボトル」

2020.05.27

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ごらん、あの娘はボトルでワインを飲んだりする前はいい娘だったんだ


薬物依存、アルコール依存がなくならない。
今までにも薬物依存等による事故で命を落としたミュージシャンは少なくない。
依存症を発症する原因にはきっと、正面と向き合うにはあまりにも辛い現実があるからかもしれない。そんな現実から逃避するために彼らは何かに“依存”してしまうのではないだろうか。

ギル・スコット=ヘロンの「ザ・ボトル」は、そんなアルコール中毒の人たちについて歌った歌だ。

「子供の頃からアル中になろうと思ってそうなったやつなど一人もいないということがわかった。現在に至るまで色々とことが起こって、彼らをその方向に向かわせたのだ。その中の一人は元医者で、若い女の子の中絶手術をしていたために逮捕されたということがわかった。」
(~ギル・スコット=ヘロン自伝より)


ワシントンD.C.の近くに住んでいた当時、家の裏にある酒屋の前に毎朝、空の瓶を持って集まるアル中の連中に着想を得たギルは、なるべく彼らと会って話を聞いたという。

The Bottle ~ Gill Scott=Heron


しわくちゃのスーツの男がいるだろ
ひどく酔っぱらってるヤツだ
彼は医者だった時
若い女の子たちを事態から手遅れにならないよう救い出してやってたんだ
だが共和党の献金者の奴らに「それは違法だ」って言われたのさ
毎日彼を見てると
酒を飲んで刑務所での日々を追い払おうとしてるんだ
彼は俺に問い、そして言うのさ

こんなひどいことってあると思うかい?
俺の友達が何度も何度も酒に溺れる
ひどいアル中のやつらがいるんだ


ヒット曲「ザ・レヴォリュ-ション・ウィル・ノット・ビー・テレヴァイズド」を含む3枚のアルバムをボブ・シールのフライング・ダッチマンから出した後、ギルは相棒のブライアン・ジャクソンと二人名義で1枚だけ、ストラタ・イーストから『ウィンター・イン・アメリカ』というアルバムを1974年にリリースした。

winterinamerica

ストラタ・イースト・レコードはジャズ・トランぺッターのチャールズ・トリヴァーとピアニストのスタンリー・カウエルが、1971年にニューヨークで設立したインディ・レーベルだ。
真の黒人の自立を目指し、アーティストに対してプロデュース権と原盤所有権が与えられた、黒人による黒人のためのレーベルだった。

このアルバムから唯一のシングル曲となった「ザ・ボトル」は、R&Bチャート15位に上るヒットとなった。
その曲を気に入ったクライヴ・デイヴィスは、ちょうどその頃アリスタを立ち上げようとしている時だった。
まだフェデラル・シティ・カレッジで教員をしていたギルは、1975年にアリスタ・レコードと最初に契約したアーティストとなり、メジャー・レーベルと契約したことで教職を退いて音楽に専念する。

フライング・ダッチマン時代は主にジャズに詩の朗読を乗せたものが中心だったが、アリスタでは次第にラテン・アフロ・ビート等を取り入れたソウル・ミュージックへと変化していった。

そのちょうど間にあたるストラタ・イーストで録音されたアルバム『ウィンター・イン・アメリカ』ではまだジャズ・フィーリングが残っているが、「ザ・ボトル」はカリビアン・ビートを取り入れたソウル寄りのスムースな音である。
アルコール中毒者たちの現実を告発する歌詞ながら、彼らを見守る温かい眼差しが感じられる1曲だ。

2011年に62歳でその生涯を閉じたギルの死因は明らかにされなかったが、晩年は彼自身も薬物中毒による入退院を繰り返していたとされる。
自らの言葉と音楽で社会や政治の問題に鋭く切り込んでいったギルであったが、そんな彼にも向き合うにはあまりにも辛い現実があったのだろうか。

薬物依存症やアルコール依存症という病は、全ての人にとって他人事ではなく隣り合わせのことなのかもしれない。

(このコラムは2016年3月14日に公開されました)


Gil Scott-Heron『Winter in America』
Strata-East Records


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