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1970年に北米をツアーで回った加藤和彦の体験から生まれた「あの素晴しい愛をもう一度」

2015.01.16

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1年間だけという約束でメジャー・デビューしたザ・フォーク・クルセダースは、約束通りデビューから1年後の1968年10月に解散した。

北山修は京都で医学生の生活に戻り、加藤和彦はアメリカのサンフランシスコへと旅立った。

やめた後はブラブラして、20歳ちょっとの若者にしては分不相応な印税が入ってきたから、それで初めてアメリカに行ったんですよね。
その頃は情報がほとんどないから、僕なんかが想像してるアメリカとは違ってて、’68年ぐらいですからヒッピーが一大ムーブメントで、一ヶ月ぐらいして帰ってきたらそれに染まってたんですよ。(注1)


1968サンフランシスコcn_image.size.summer-of-love

アメリカのカウンター・カルチャーに触れて帰国した後、加藤和彦はふたたびヨーロッパへと旅立った。

そしてロンドンで台頭しつつあったグラムロックと出会い、デヴィッド・ボウイやT・レックスなどから刺激とヒントを得て、加藤は帰国後にソロのシンガー・ソングライターとして歩み始める。

ソロ・アルバム『ぼくのそばにおいでよ』が発表されたのは、フォークル解散からおよそ1年後の1969年12月だった。

加藤和彦

大阪万博が開催された1970年、関西のアマチュア・グループだったロック・キャンディーズ(谷村新司)やジローズ、シュリークスなどが集まって、40日間かけて北米をツアーで回る『ヤング・ジャパン国際親善旅行』が企画された。

日本の若者たちの演奏旅行団を作り、北米の若者たちと音楽を通じて交流するツアーを思いついたのは、後にアリスのマネージャーとなって成功するプロデーサーの細川健である。
そしてコンサートの司会役が北山修で、加藤和彦は結婚したばかりの夫人のミカを同伴してギタリストとして参加した。

あの旅行は、僕にとっては、すごい面白かったけどね。メキシコまで行って、行く先々でステージもやってた。海外公演一回目だよ。


一行はカナダからアメリカ、メキシコなどを回る途中の8月6日、ニューヨークで広島への原爆投下をテーマにしたロック・フェスティバルに遭遇する。
ビートルズがライブを行ったシエア・スタジアムで行われるイベントに気がつき、すごいメンバーが揃っているから観に行こうとみんなを誘ったのは加藤和彦である。
ポール・サイモン、CCR、ジャニスジョプリン、ジョニー·ウィンター等が出演していたコンサートは、反戦を掲げて朝の10時から夜10時まで続いた。

ジャニスジョプリン ライブ

それほどロックやカウンター・カルチャーに詳しくないまま、ジャニスの歌を聴いた谷村新司はそのときに感じた思いをこう語っている。

そのときまでジャニス・ジョップリンのことは全く知らなかったんですが、彼女の声を聴いた瞬間「すごい!」と感激しました。
やっぱり国だとか言語だとか、あとロックだとか、フォークだとか言っているのってバカじゃないのと思いましたね。
音楽は感じるか感じないか、それだけの問題だと思いました。


2度目のアメリカから帰国した加藤和彦はその直後、印象的なCF映像を残している。
それが70年代初頭の傑作と伝えられる「モーレツからビューティフルへ」、富士ゼロックスの企業コマーシャルである。

60年代の高度成長時代にひたすら働いてきたサラリーマンの生き方、すなわち「モーレツ」に対してこれからは「ビューティフル」に生きましょうという、鮮やかなメッセージが提示されていた。(注2)

文化史には時として価値観が大きく変わる瞬間がはっきり表れることがある。
1960年代から1970年代への転換が成された象徴が、日本では加藤和彦というアーティストだったとも言える。


加藤和彦と北山修が再び一緒に歌った「あの素晴しい愛をもう一度」は、1971年4月5日にシングル発売されると大ヒットした。
そこには「モーレツからビューティフルへ」にも通底する時代感覚が、歌とサウンドではっきりと打ち出されていた。

それから40年以上の歳月を経て「あの素晴しい愛をもう一度」は、今なお着実にスタンダード・ソングへと成長し続けている。
最近もハリウッド・スターのヒュー・ジャックマンが、トヨタのCMで歌って話題になった。

英語ヴァージョンの「あの素晴しい愛をもう一度」を聴くと、あの時代のあの精神、すなわちヒッピー・ムーブメントと「サマーオブラブ」が、どこかに宿っていることが伝わってくる。




(注1)加藤和彦の発言は、加藤和彦/ 前田祥丈(著)牧村憲一(監修)「エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る」 (SPACE SHOWER BOOks)からの引用です。

(注2)これを作った伝説のCMディレクターと呼ばれた杉山登志は、大瀧詠一と組んだで資生堂の「サマーローション」を作った1973年の終わりに、『リッチでないのにリッチな世界など分かりません。ハッピーでないのにハッピーな世界など描けません。夢がないのに 夢を売ることなどは……とても……嘘をついてもばれるものです』という遺書を残して自殺している。

『エゴ ~ 加藤和彦、加藤和彦を語る』
(スペースシャワーネットワーク )

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