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竹原ピストルの27歳~野狐禅としてメジャー・デビューした先に待ち受けていた茨の道

2017.12.30

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竹原ピストルが北海道の大学に在学中に知り合った濱埜宏哉(はまのひろちか)と「野狐禅」を結成したのは1999年のことだった。

大学卒業後、人生に目標を見出すことができず、それに焦りを感じながらも結局はだらだらと日々を過ごしてしまっていたぼくと、同じように同じような日々を過ごしていた濱埜宏哉が、“このままでは死んでいるのと同じだろう。生きるとは、何か一つの夢に向かって全情熱をぶつけ続けること、全力疾走し続けていくことではないだろうか。そういった意味でしっかりと生きていこう”と、そんな思いから結成したバンドです。そして、そっくりそのまま、その思いをメッセージの核とした歌を歌う、ということをコンセプトに活動を開始したバンドです。
(「竹原ピストルのブログ 流れ弾通信」2009-05-10 )


2人はその後、上京して2001年にミニ・アルバム『便器に頭を突っ込んで』をインディーズでリリースし、2003年にはスピードスターレコードからシングル「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」を発表する。

そして12月に出た1stアルバム『鈍色の青春』は、無骨で荒削りな表現や切迫感に満ちた歌詞のなかに、少年の繊細な魂が息づいていて文学性があると評価された。

27歳になって迎えた2004年には「東京紅葉」、「カモメ」、「ぐるぐる」という、3枚の意欲的なシングルが立て続けに発表になった。
そのミュージック・ビデオは野狐禅の歌から生まれた短編映画ともいえるもので、主演は北野武の映画で知られる俳優の寺島進、監督は大学の卒業制作で撮った「鬼畜大宴会」で鬼才と認められた新鋭の熊切和嘉である。

3曲による3部作でひとつの物語となっていた作家性の強い作品は、CDという商品を売るためのプロモーション・ビデオとは一線を画すものだった。

http://www.jvcmusic.co.jp/yakozen/making.html

熊切監督から映画に出演してほしいという話を電話で持ちかけられたのは、その年の後半で野狐禅のツアーで九州を廻っているときだったという。

夜、ホテルの部屋にいたら監督から電話がかかってきて「『青春☆金属バット』っていう映画で主役にピストルを推しているんだけど、興味ある?」って言われたんです。監督の喋り方からしてずいぶん酔っ払ってる感じだったんですけど(笑)、興味はあったから「興味はありますけどちょっと待ってください」って答えて、後日、受けさせていただいたんです。


古泉智浩のマンガを原作にした映画『青春☆金属バット』は、どこにでもいそうな冴えない27歳の青年が主人公だ。

万年補欠だった野球部で高校時代から馬鹿にされていた27歳の主人公は、バイト先のコンビニと古びたアパートの往復以外、バッティングセンターに行くだけの日々を送っている。やりたい仕事があるわけでもなく、語り合う友達がいるわけでもない。しかし彼にはただひとつ、“究極のスイング”を体得するという目標があった。10年前から毎日、バットを振ってきたのはそのためだった。



竹原は映画初主演となった『青春☆金属バット』に続いて、その後も熊切監督の『フリージア』(2007年公開)と『海炭市叙景』(2010年)に出演し、俳優としての存在感を発揮していくことになる。

いっぽうで野狐禅はメジャー・デビューしたものの、次第に知る人ぞ知るというポジションにとどまり、世間的な尺度で見れば茨の道に歩み出していったように見えた。

そうした状況にあって、所属していたオフィス・オーガスタとスピードスターレコードとの契約が2007年に終わるのを機に、野狐禅はあえて独立するという選択を下した。
当時を振り返って、竹原はこう語っている。

あの当時の自分は、とにかく地に足がついてなかったんです。自分の周りにいるスタッフの人たちがどう動いているのかよくわからないし、それでも状況が進んでいってしまうことに、ずっとソワソワしていました。それで「いっそ全部自分たちだけでやろう」と思って、事務所を辞めることにしたんですけど、それから自分で宣伝やレコーディング、ブッキングの仕事をすべてやってみて、ようやくわかったんですよね。「ああ、この役割はあの人がやってくれてたんだ。自分はどれだけ恵まれた環境にいたんだろう」って。


野狐禅は独立から2年後、2009年の春に解散している。

それは茨の道を前へ前へとつき進んできたなかで、野狐禅という看板を守るためにそれを騙し騙し掲げ続けるのか、あるいは看板を守るために降ろすのかと、何度も堂々めぐりを繰り返して悩んだ末の判断であった。

そして竹原はソロ・アーティストとして、ゼロから弾き語りで全国のライブハウスや歌える店を回り始めた。
年間250本から300本という数のライブをひとりでブッキングし、ひたすら歌うことで活路を見出していっていったのだ。

そこに松本人志から映画出演の声がかかった。
 


竹原は2011年に公開された松本人志監督の映画『さや侍』で重要な役に抜擢されたばかりか、主題歌の「父から娘へ ~さや侍の手紙~」を歌って注目を集める。
そして「才能のある人が認められていない」「ちょっとでも手助けできたら‥‥」という松本の発言で、その名を多くの人に知られるようにもなった。

2014年からはふたたびオフィス・オーガスタに所属して、スピードスターレコードからアルバム『BEST BOUT』をリリースした。

2016年には西川美和監督の映画『永い言い訳』へ出演したことによって、第90回キネマ旬報ベストテン助演男優賞に選出された。
さらには第40回目日本アカデミー賞でも優秀助演男優賞に輝き、サントリーの「BOSS」CM出演などで一気に知名度があがった。

27歳のときに始まった映画および映画人との出会いによって、竹原の存在と才能に光が当たったことから、たくさんの人が彼の歌と音楽に気づくことになったのである。




(引用元)
「竹原ピストルのブログ 流れ弾通信」
http://blog.goo.ne.jp/pistol_1976/e/bcb844aa886a18dc49c8623daf021f85

CINRA NET「竹原ピストル、七転び八起きでメジャーの舞台に帰ってきた男」
https://www.cinra.net/interview/201410-takeharapistol

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