1985年、27歳を迎えたマイケル・ジャクソンは、名実ともに絶頂期を迎えていた。マイケルとライオネル・リッチーの呼びかけの下、アフリカの飢餓と貧困を解消するために発足された“USAフォー・アフリカ”のテーマソング「We Are The World」が製作・発表されたのもこの年のことだった。
同年、マイケルはそれまで親交を温めてきたポール・マッカートニーと、ある問題で“気まずい関係”になってしまったという。マイケルはアーティストとしての才能の他に、ビジネスへの鋭い臭覚と興味を持っていたのだ。
当時、ポールとオノ・ヨーコ(ジョン・レノンの遺産管理人)の二人よりも高い値(4750万ドル)をつけて、ビートルズの楽曲すべての著作権と出版権を買い取ったのだ。その瞬間から、マイケルはビートルズの版権を管理する音楽出版社ATVの所有者となった。
以降、マイケルのもとには何年間にもわたって年間1100万ドルの収入があったという。この事でポールが気分を害したのは言うまでもなく、まるで“誰が世界一偉大でリッチなポップスターなのか?”と、マイケルから誇示されているようなものだった。
それまでのポールとマイケルと言えば「Say Say Say」や「The Girl Is Mine」、そしてポールのアルバム『PIPES OF PEACE』に収録されている「The Man」でのデュエットなどで共演をしてきた“良好な関係”だった。

当時、マイケルはこの買収についてこんな発言をしている。
「僕は聖杯を見つけたんだよ」
ある音楽業界の幹部は、マイケルについてこう語っている。
「あんな少女みたいな声をだして、普段はなんとも言えない慎み深い態度なのに、彼は、ことビジネスにおいては頑固でいまいましい男だったよ」
当時、ポールも(これ以上ないほどの控え目な表現で)こう語っていた。
「僕らの友情はちょっとだけ打撃を受けたんだ。会ったときにはあんなに優しくて礼儀正しい男なのに。でも、マイケルは思いやりがあって親切で心が広い人間だ。お世辞で言っているんじゃないよ」
そんなポールの言葉を他所に、マイケルはさらにスライ&ファミリーストーンやリトル・リチャードの版権も次々に買収していく。
それから数年後。21世紀になってから、誰に対してもいつも紳士的で愛想の良いポールが“昔の友人”マイケルに対して、それまでとは相反する表現をするようになった。
「彼は普通じゃないよ」
<引用元・参考文献『キング・オブ・ポップ1958‐2009』クリス ロバーツ著(青志社)>







