1987年の春、ポール・マッカートニーは時折スタジオにミュージシャンを招いては、ロックンロールのジャム・セッションを開いていた。
そのほとんどはセッション・ミュージシャンだったが、時にはエルヴィス・コステロやジョニー・マーなども顔を出したという。
セッションを開いた理由のひとつは、前年にリリースした6枚目のソロ・アルバム『プレス・トゥ・プレイ』が、ポールのソロ作品の中で過去最低の売り上げを記録したことだった。
自分が進むべき方向を見失ったポールは、自身のルーツであるロックンロールに戻ってみようと思ったのである。
セッションではエルヴィス・プレスリーやリトル・リチャードといったポールが影響を受けたロックンロール・スターの楽曲はもちろん、1957年にジョン・レノンのバンド、クオリーメンに入るときのオーディションで披露したエディ・コクランの「トゥエンティ・フライト・ロック」なども演奏された。

これに対しマグデンは、ただリリースするだけではジョン・レノンの『ロックン・ロール』の二番煎じになってしまうと意見した。
そこで出てきたのが、ソ連から流れてきた海賊盤に見立てようというアイデアだ。
ソ連ではアメリカを中心とした西欧諸国との冷戦の中で、ロックに対して厳しい規制がかけられ、品質の悪い海賊盤や密輸されたレコードが大量に出回っていたのだ。
しかし、所属しているレコード会社のEMIはポールのアイデアを却下する。日頃、海賊盤を目の敵にしている彼らからすれば当然の判断だった。
その年のクリスマス、マグデンはポールにレコードをプレゼントした。夏にレコーディングした音源を50枚だけ自費でプレスし、ソ連の海賊盤をイメージしたジャケットに入れてアルバムにしたのだ。
アルバムの内容に満足したポールは、実際にソ連のレコード会社からリリースできないだろうかとマグデンに持ちかけた。
ゴルバチョフが書記長となっていたこの時代、依然として西洋のロックやポップスのレコードが入手困難な状況は続いていたが、それでも規制はかなり緩和されていた。そしてマグデンがコンタクトを取ってみると、メロディアというレコード会社とアルバムをリリースする契約を結ぶことに成功したのである。
アルバムのタイトルはロシア語で「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」を意味する『CHOBA B CCCP』となった。
「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」はビートルズの『ホワイト・アルバム』に収録されている曲で、チャック・ベリーの「バック・イン・ザ・USA」を下地に、アメリカ(USA)をソ連(USSR)に置き換えて作られたナンバーだ。「ソ連に戻ってきた」というタイトルは、まさに打ってつけだった。
英国海外航空でマイアミビーチを飛び立った
昨日の晩は眠れなかったぜ
紙袋を膝の上に乗せたまま
ひどいフライトだったけど
俺はU.S.S.R.に戻ってきたのさ
何て幸運な奴なんだ
俺はU.S.S.R.に戻ってきたのさ

1ヶ月後には2曲を追加して再出荷され、50万枚もの売り上げを記録した。ロックに厳しい規制がかかっていたソ連において、ポールはもっとも成功したロック・ミュージシャンとなったのである。
レコードの一部はソ連以外の国へと流れて海賊盤も出回った。それまでソ連のロックファンが置かれていた状況が、西洋諸国で発生したのである。
おそらくそこまではポールの狙い通りだったが、値段が何万ドルにも跳ね上がるのは予想外だったのだろう。ファンにそのような大金を払わせるのは不本意であるとして買わないように呼びかけ、ソ連崩壊直前の1991年9月に全世界でリリースされるのだった。


参考文献:
『ポール・マッカートニー ザ・ライフ』フィリップ・ノーマン著/石垣憲一、竹田純子、中川泉訳(KADOKAWA)
『ブラックバード ポール・マッカートニーの真実』ジェフリー・ジュリアノ著/伊吹徹訳(音楽之友社)
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