アフリカ大陸の東部に位置するエチオピアで、干ばつによる深刻な飢饉が発生したのは1984年のことだった。
そのことを知ったブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフは様々なミュージシャンに声をかけ、チャリティー・プロジェクト、バンド・エイドを発足する。
その年の12月3日にリリースされたシングル、「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」にはポール・マッカートニーやボノ、デヴィッド・ボウイ他、20組以上が参加し、300万枚を超える大ヒットとなった。
その流れで、次にボブ・ゲルドフはチャリティ・コンサートの開催に向けて動き出す。バンド・エイドに参加していたポールのもとにも、ボブから出演依頼の電話がかかってきた。
ところがこの頃のポールは2つの問題を抱えていた。
1979年の12月にウイングスとして最後のステージに上がって以来、ポールは5年以上もライヴと縁のない日々を送っていた。それというのも、1980年1月に来日した際に麻薬所持で逮捕されてしまい、ウイングスの日本ツアーは中止、そのままウイングスも解散してしまったからだった。
(留置番号22番、ポール・マッカートニーが警視庁の雑居房で歌った「イエスタデイ」)
さらに当時のポールには、一緒にステージに上がるためのバンドもなかった。ポールは「出たいのはやまやまだけど、それは無理な相談だ」と断ったが、それでもボブは一歩も譲らなかった。
「バンドなんてどうでもいい。身ひとつで出て、ピアノを弾いてくれればいいんだ。〈レット・イット・ビー〉をやってくれ」
もともとチャリティの趣旨に共感し、できることなら協力したいと思っていたポールは、ボブの熱意と押しの強さに負け、出演を了承する。
とはいえポールは、ステージでピアノの弾き語りをした経験などなく、本番が近づくにつれて次第に不安とプレッシャーを感じるのだった。
1985年7月13日。
正午から始まったライヴエイドは、エルヴィス・コステロやスティング、U2、クイーン、デヴィッド・ボウイ、エルトン・ジョンなど錚々たる顔ぶれが次々と登場した。
会場となったウェンブリー・スタジアムは熱気と興奮に包まれ、その模様は全世界へと生中継で送り届けられた。中でもクイーンは、ライヴエイドの全パフォーマンスの中でも随一、と言われるほどの素晴らしいパフォーマンスを披露する。
(クイーン~ロック史に輝く起死回生のパフォーマンス)
時刻は夜の9時半を回り、10時間近く続いたライヴ・エイドもいよいよフィナーレを迎えようというところで、ようやく最後の出演者であるポール・マッカートニーが出番を迎える。
会場は闇に包まれ、ステージだけが青く照らされる中、お馴染みのピアノが流れ始めた。スポットライトが照らされると、そこにはポール・マッカートニーがピアノを弾きながら「レット・イット・ビー」を歌う姿があった。
ところがどういうわけか、スピーカーからはその歌声が聴こえてこない。ウェンブリー・スタジアムにはピアノの音だけが鳴り響いていた。音が聴こえないのはポールも同様だった。
ぼくは自分にちょっと待て、これはBBCの番組だ、モニターはないかもしれないけど、TVでは問題なく聞こえているはずだ、と言い聞かせた。
その原因は、ポールの前に歌っていたフレディ・マーキュリーとブライアン・メイのスタッフが、誤ってポールのマイクのケーブルを抜いてしまったからだった。
悪夢のような状況の中で自分を励ましながら懸命に歌うことおよそ2分、ようやく音響トラブルが解決してポールの歌がスタジアムに響きわたると、割れんばかりの歓声が上がる。
予定ではこのあと、ボブ・ゲルドフがデヴィッド・ボウイ、ピート・タウンゼント、アリソン・モイットとともに登場して、最後のサビを一緒に歌う段取りになっていた。
しかし、慣れないピアノの弾き語りと予期せぬトラブルにより、ポールは自分がどこを歌っているのかも分からなくなっていた。
で、ようやく横目でチラッと見たら、そこにみんなが並んでいたんだ。でもすごくドラマティックだった。パラノイア状態というか。
「レット・イット・ビー」は観客を含めた大合唱となり、最後はバンド・エイドによる「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」でライヴエイドは幕を閉じるのだった。
家に帰って映像を確認したポールは、放送でも音がちゃんと出ていなかったことを知り落胆したが、それでもライヴエイドは最高の一日だったと語る。
大事なのはゲルドフという男が死に瀕した人々のために立ち上がり、お金を集めたことなんだ。ぼくのマイクが入ってなかったことなんて問題じゃない。彼らの問題と比べたら、そんなのものの数にも入らないのさ。
自分が何のために歌っているのか、それを見失わなかったからこそポールは、悪夢のような状況に見舞われながらも最後まで力強く歌い続けることができたのかもしれない。
参考文献:『ポール・マッカートニー 告白』ポール・デュ・ノイヤー著/奥田祐士訳(DU BOOKS)
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