甘いマスクと歌声、そしてクールなトランペットで人気を博し、“クールジャズの象徴”と言われたチェット・ベイカーは、20代の頃どんな日々を送っていたのだろうか? そして“青春と人生のクロスロード”でもある27歳の時に経験したものとは?
1952年、23歳になったベイカーは、ビ・バップの創始者チャーリー・パーカーがロサンゼルスを訪れた際、幸運にもオーディションで共演者に選ばれる。
同年、バリトン・サックス奏者ジェリー・マリガンと共に、当時としては珍しい“ピアノレス・カルテット”を結成し、これが好評を呼ぶ。翌1953年には、遂に自らのバンドを結成し、ジャズ専門誌『Down Beat』の国際批評家投票による新人賞に選ばれ、そして翌年の読者投票では1位に選出される。
世界初のニュース雑誌としても有名な『Time』にも取り上げられ、ベイカーは二十代半ばにして一躍一流ジャズメンの仲間入りを果たしたのだ。同時期、その甘い歌声をフィーチャーしたアルバム『Chet Baker Sings』を発表し、その人気と名声を決定的なものにする。
当時、多くのジャズメン達がそうだったように、ベイカーもまた麻薬常習の理由からアメリカ国内での演奏が難しくなり、やむなく活動の大半をヨーロッパで行うようになる。

同時に翌週末からスタートする長期ツアー“バードランド・スターズ・オブ・57”に参加することを発表する。このツアーではカウント・ベイシーやサラ・ヴォーン、バド・パウエル、レスターヤングといった錚々たる大物たちと共演することが決っており、大きな注目を集めていた。
しかし…麻薬調査課は最初からベイカーに目をつけていた。
ツアー第一週目の2月19日、ベイカーはフィラデルフィアにある名門“アカデミー・オブ・ミュージック”で観客を湧かせていた。ステージの合間の休憩時間、彼の楽屋に二人に私服警官があらわれ、いきなり所持品検査委を受けることとなる。楽器ケースからの中から一袋のヘロイン、そして車のダッシュボードからはマリファナが発見される。
ベイカーは手錠をかけられて警察署に連行されてしまう。取り調べに対して「ここ6年間は麻薬をやっていない!」と主張したが…尿検査の結果が陽性だったため、そのまま独房で一夜を過ごすこととなる。
翌日、ルイ・アームストロングのマネージャー、ジョー・グレイザーが保釈金を手配してくれたおかげで何とか釈放されたが「次に逮捕されるようなことがあれば10年から20年の禁固刑となるだろう!」と警告される。
この一件は、ただちに通信社によって広く報道され、ベイカーはツアーメンバーから外されてしまう。順風満帆に思えた音楽人生にも徐々に暗雲が立ちこめ始める。
1957年8月、金も住むところも仕事のあてもなくニューヨークに辿り着いた。ベイカーの到着を歓迎したのは、ハーレムをうろつく数人の麻薬ディーラーぐらいだったという。ニューヨークのミュージシャンたちは、ベイカーのことを以前から“マイルス・デイヴィスのB級クローン”と決めつけ、完全に無視していたのだ。
まずしなくてはならなかったことは、住むところを見つけることだった。助け船を出してくれたのは、ヨーロッパツアー中に一緒に演奏したことのあったベルギー人ピアニストのフランシー・ボーランだった。
当時、ボーランはアッパーウエストサイドの広いアパートに移り住んだばかりで、妻と幼い子供を養うために、余った部屋を知り合いに貸したりしながら生活費を工面していた。ベイカーはそのアパートの部屋を間借りできることになったのだ。
ちょうどこの時期にベイカーは27歳の誕生日を迎えることとなる。ようやく落ち着くところを見つけたベイカーが次に力を注いだのは、ミュージシャンとして再起を図ることではなく…麻薬を手に入れることだった。
毎日2〜3時間おきに自分の部屋から出て来るベイカーの顔は、無精髭に覆われて生気がなく、恩人のボーラン家族に「おはよう」の一言もないまま玄関を出て行き、ふらふらとハーレムをうろつく生活を繰り返していた。以前にリリースしたレコードの売り上げは落ちる一方で、音楽関係者の間では「チェット・ベイカーと契約をしてもヒットは期待できない」と囁かれていたという。
間もなくして、やはりというか当然というか…ボーランのアパートを追い出されたベイカーは、一時期ホームレスに近い生活を経験する。後に彼はあるインタビューで当時の気持ちをこんな風に語っている。
「トランペットを吹く気にもなれなかったんだ…。あの頃の僕は、ただ麻薬を打って、人生の憂さを忘れたかったんだ」
ニューヨークに来て、以前にも増して孤独感にさいなまれていたベイカーは、ついに精神分析医の世話になることとなる。そして翌年、薬物中毒の治療のため療養所生活を余儀なくされる。その後、30歳の時に再び薬物事件で逮捕され、釈放後にイタリアに移り住むようになる。
<参考文献『終わりなき闇 チェット・ベイカーのすべて』ジェイムズ・ギャビン著/鈴木玲子訳(河出書房新社)>

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