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ビル・エヴァンスを偲んで〜マイルスとの出会い、パートナーや実兄との死別、悲劇の最期〜

2023.09.15

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「ビル・エヴァンスの演奏には、いかにもピアノという感じの静かな炎のようなものがあった。」(マイルス・デイヴィス)


1980年9月15日午後3時30分、ジャズピアニストのビル・エヴァンスはアメリカ合衆国ニューヨーク市のマンハッタンにあるマウントサイナイ医科大学の附属病院で息を引き取った。享年51。
──ジャズ評論家で生前のビルと親しい人物だったジーン・リースは、彼の最期についてこんな印象的なコメントを残している。

「彼の死は時間をかけた自殺というべきものであった。」


彼はマイルス・デイヴィスに認められた数少ない白人ミュージシャンのひとりであり、その美しいメロディーは特に日本での人気が高く、本人も日本の文化が大好きだったという。
かつて日本のジャズファン達が愛読していた雑誌『スイングジャーナル』の“読者が選ぶ名盤ベスト100”において、彼のアルバム『Waltz for Debby』は1位を獲得している。


今日は彼の命日にちなんで、その“51年間の人生ドラマ”をご紹介します。
──1929年8月16日、彼はアメリカ北東部ニュージャージー州のプレインフィールドという街で生まれた。
父親はウェールズ出身で、母親はロシアからやって来た移民だった。
音楽好きだった父親ハリー・L・エヴァンスは、ビルと彼の兄ハリー・エヴァンス・Jrに小さな頃から音楽を学ばせた。
ビルは6歳からピアノ、ヴァイオリン、フルートを学び、10歳でモーツァルトを弾きこなしていたという。
15歳で南部のサウス・イースタン・ルイジアナ大学に入学し音楽教育を専攻。
並行してアマチュアミュージシャンとしての音楽活動もさらに活発になり、充実した学生時代を送る。
学生時代には後年のレパートリーの一つとなる曲「Very Early」を既に作曲している。


1950年の大学卒業後、1951年から召集を受けてアメリカ陸軍での兵役を強いられた。軍務中は当時の朝鮮戦争の前線に向かうような事態もなく、大学での経歴によって陸軍バンドでの活動機会も与えられたものの、彼とっては不快な期間であった。
また兵役中に、その後の生涯に渡る“悪癖”となった麻薬常用が始まったという。
兵役終了後、ジャズのムーブメントの中心地であるニューヨークに出て本格的に音楽活動をスタートさせる。
モダンジャズ界におけるクラリネットの雄トニー・スコットやハービー・フィールズらの下でピアニストとしての実力をつけ、徐々にその名を知られるようになってゆく。
彼のピアノはクラシックからの影響を取り入れた独自の美しさをもっており、ジャズ界で注目を集めるようになる。
そんな彼の才能を認めた(当時の彼の師匠だった)ジョージ・ラッセルは、ちょうどその頃新しいピアニストを探していたマイルス・デイヴィスに推薦する。
そして1958年、マイルス・デイヴィスは自分のバンドの新しいピアニストとして、ビルを参加させようになる。
マイルスはビルに「モー」というニックネームまでつけて可愛がり、当時彼が取り入れ始めたばかりの“モード手法”(コードに縛られることなくより自由なアドリブを弾く画期的な演奏スタイル)をビルに教える。
それは中世ヨーロッパの教会音楽で用いられていた手法をジャズに応用しようという試みだった。
それに対し、ビルはマイルスにラフマニノフやラベルなどのクラシックを聴かせることで、モードの完成のために大きなヒントを与えることとなった。
マイルスは彼のことをとても気に入り、自身のバンドのサウンドを彼のスタイルに合わせて変えてしまうほどの入れ込みようだったという。
しかしそんなマイルスの“ビル起用”の陰では、他のバンドのメンバーたちは白人である彼の存在を認めようとせず、差別的な態度をとっていた。
もともと繊細な神経の持ち主だったビルは、そんな扱いに耐えきれず、わずか一年でバンドを去ってしまう。
しかしビルの才能を認めていたマイルスは、再びビルを呼び戻し、後に“モード時代の最高傑作”と語り継がれるアルバム『Kind of Blue』を彼と共に録音する。
クレジット上では全曲マイルス・デイヴィス作曲となっているが、A面の3曲目に収録されている「Blue In Green」は(実際は)ビル・エヴァンスの作品である。


その後、彼は再びマイルスのもとを離れて自らのピアノトリオを結成する。
メンバーは、ベースのスコット・ラファロとドラムのポール・モチアンだった。
チェット・ベイカーやベニー・グッドマンらのもとで活躍してきたこのスコットこそが彼にとって生涯最高の演奏パートナーとも言えるベーシストとなった。
彼との共演にビルは自身のキャリアにおける絶頂期を迎えることとなる。
彼らは1961年にアルバム『Exploration』を発表した後、ニューヨークのクラブ、ヴィレッジ・バンガードで公演を行う。
その最終日(6月25日の日曜日)、急遽ライブアルバムとしての録音が行われた。
それこそが、後に“ジャズ史に残る傑作”と呼ばれることとなる2枚のアルバム『Waltz for Debby』『Sunday At The Village Vangard』を生み出した“奇跡の夜”となったのだ。
ビルはこの年の夏に32歳を迎える。

──作家の村上春樹が綴った印象的な言葉をご紹介します。

「アルバムWaltz for DebbyはCDではなく、やはり体を使ってLPで聴くのが好きだ。このアルバムは片面3曲でひと区切りをつけて、針をあげて、物理的にほっとひと息をついて、それで本来のWaltz for Debbyという作品になるのだと僕は考えている。どのトラックも素晴らしいけど、僕が好きなのはMy Foolish Heart。甘い曲、たしかにそうだ。しかしここまで肉体に食い込まれると、もう何も言えないというところはある。世界に恋をするというのは、つまりはそういうことではないか。」

<引用元『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)/村上春樹・和田誠著>




1961年7月6日、『Waltz for Debby』の録音からわずか11日後に、ベーシストのスコット・ラファロが交通事故でこの世を去る。
27歳の若さだった。
この突然の悲劇をきっかけに、ビルの人生の歯車は少しずつ狂い始める。
その後、さらなる悲しみが彼を襲う。
当時、別れたばかりの彼の内縁の妻エレインがニューヨークの地下鉄に飛び込んで自殺する。
エレインは重度の麻薬中毒でもあったという。
つまり、同棲相手であると同時に麻薬のパートナーでもあったのだ。
彼女の自殺の原因は、彼の浮気だったという。


当時、多くのジャズメンがそうであったように、彼もまた麻薬にどっぷりと浸かった生活をしていたが…この度重なる悲劇が彼をさらに麻薬の深みへと追いやってゆく。
そして50歳を迎えた1979年、彼はピアニストでもありピアノ教師でもあった実の兄に捧げるたアルバム『We Will Meet Again』を発表する。
だが、その作品を聴くことなく彼の兄は自らの頭を銃で打ち抜いてこの世を去る。


翌1980年9月9日、彼は『Waltz for Debby』を録音したヴィレッジ・ヴァンガードから少し離れたファット・チューズデイズでの公演をスタートさせる。
同月の14日までこのクラブに出演し、20日からは日本でのツアーも予定されていた。9日〜10日と演奏は続けられたが…11日になって力尽きたかのように彼は自ら病院へ行くことを希望し、マウントサイナイ医科大学の附属病院に入院する。
そして4日後の9月15日午後3時30分…病室で静かに息を引き取った。
長らく患っていた肝硬変や併発した消化器系の潰瘍は手の施しようも無い状態で、その苦痛を和らげるためドラッグを使用し続けていたという。
当然食は細り栄養失調も重なる。
兄バリーの自殺を知ってからは、治療も受けなくなったという。
周囲の人間は病院で治療することを強く勧めが…ビルは拒否し続けた。
晩年、彼は死期を悟っていたと言われている。
ビルを訪ねた友人や知人の多くは、彼から“今生の別れ”であることを感じさせるような挨拶を受けていたという…。

ビル・エヴァンス『Waltz for Debby』

ビル・エヴァンス『Waltz for Debby』

(ユニバーサル ミュージック)






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