1993年(平成5年)にシンガー・ソングライターとしてデビューした斉藤和義は、元々ギタリストになりたかったという。
彼が中学と高校時代を過ごした70年代末から80年代にかけて、日本ではいわゆる「ジャパメタ・ブーム」が起こっていた。レイジーやラウドネスのギタリストとして活躍した高崎晃に憧れた斉藤は、ギターを手に取って弾きまくり、将来はギタリストになることを夢見ていた。
転機が訪れたのは大学時代。友人に誘われ、アコースティック・ギター2本で歌うユニットを結成したときだ。この時に初めて自分で歌うための曲を作ったのだが、それがコンテストなどで高い評価を受けて驚いた。
ユニットが解散して以降、斉藤はソロアーティストに転向する。物憂げな声や、独特の着眼点から生まれるストレートな歌詞が話題を呼び、1992年にオーディション番組『天下御免ね」で優勝、翌年にデビューを果たした。
しかし、シンガーとしてデビューしながらも、斉藤には歌よりもギターを聴いて欲しいという気持ちが強かったため、歌や曲を褒められることに違和感があったという。
精力的にライブや作品制作を続けるうちに、彼の名前は徐々に世の中に知れ渡っていった。シングル「歩いて帰ろう」でヒットを飛ばし、一人で作詞作曲から演奏まで手がけたアルバム『ジレンマ』を発表すると、オリコンチャートのトップ10に入ったのである。それはシンガー・ソングライターとしての斉藤が、世間に求められていることの証明でもあった。

「ディランはデタラメに歌っているようにみえて、実は音程もよくて。だから、歌もしっかりしなきゃなと思って」
(『月刊カドカワ 総力特集 斉藤和義』より)

斉藤はその後、楽曲制作の過程で、あるバラードを作り出す。情熱的なメロディーとビートルズを彷彿とさせるストリングス。彼はこの曲に「歌うたい」としての矜持を込めた。そうして完成したのが「歌うたいのバラッド」である。

いつも以上に熱を込めて作ったこの歌は、斉藤の強い希望によりシングルとして発売されることになる。オリコンでは最高91位という結果に終わったが、ファンや他のミュージシャンからは愛される一曲となった。
そして発売から11年後の2008年、Mr.Childrenの桜井和寿がカバーしたことから、この楽曲は多くの人に知られるようになる。斉藤が歌うたいとして目覚め、そして素直な感情で作り出した言葉とメロディは、多くの人に歌い継がれ、愛されるものになったのである。
歌うたい15 SINGLES BEST 1993~2007
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