ボードヴィル・ショー巡業を生業とする一家のもとで育ったサミー・デイヴィス・ジュニアは、幼少の頃から歌やダンスのレッスンを受け、3歳の時にはすでに舞台に立っていた。
彼と彼の父親、そしてウィル・マスティンのトリオは、どの街に行っても客ウケがよく、舞台仲間たちとの絆も深かった。しかし、当時アメリカに蔓延っていた人種差別により、黒人の歌手や芸人が一流劇場に出演することは叶わぬ夢だった。そんな中、フランク・シナトラとの出会いによって世界的なエンターテイナーとなっていく。
1932年、トリオは“もう一つ上の世界”で活躍することを夢見て、ニューヨークのブッキングオフィスに出入りするようになる。トリオの名前は“ウィル・マスティンの一座(ギャング)フィーチャリング・リトル・サミー”と改められた。当時、サミーは7歳になったばかりだった。
各地で様々な劇場に出演する中、まだ下積み時代のフランク・シナトラとも何度か共演をし、“舞台仲間”として顔見知りになった。19歳で徴兵されアメリカ陸軍に入隊したサミーは、第二次世界大戦に一兵卒として参戦したものの、その経歴から最前線の兵士としてではなく、兵士向けのショーなどを行う慰問部隊に配属される。そして除隊後にすぐにショービジネス界に戻り、再び巡業の日々を過ごすこととなる。
一方、シナトラは1939年に(それまで所属していたボーカルカルテットを辞め)、ベニー・グッドマン楽団から独立したばかりのハリー・ジェームスの新しい楽団の専属歌手としてデビューを果たす。翌1940年、トロンボーン奏者トミー・ドーシーのオーケストラに引き抜かれ大活躍したシナトラは、10代の女性を中心にその人気を決定的なものとした。
それは1940年代中頃の出来事だった。ある日、オレゴン州ポートランドで巡業をしていたウィル・マスティンの一座のもとに一通の電報が届く。そこにはシナトラからの出演依頼の内容が記されていた。
「来月、ニューヨーク、キャピトル劇場、フランク・シナトラショー、三週間、一週1,250ドル」
サミーの父親はその電報をじっと見つめながらこう言った。
「かつがれているんじゃなさそうだな。しかし、どうして私たちに?」
ウィル・マスティンがこう続けた。
「彼はいつも黒人と共演したがっていたよな」
シナトラもイタリア系移民の子であり、人種差別を受ける側の立場を理解する人間だったのだ。一流と言われるキャピトル劇場でシナトラと一緒なら、彼らにとって“もう一つ上の世界”に行くチャンスになることは間違いなかった。彼らは得意とする物真似、そしてダンスとトークを、最高の舞台で披露する絶好に機会を手に入れたのだ。
そして迎えた当日、劇場の支配人が彼らのリハーサルを見て一言。
「君たちは長すぎる。その物真似はやめにしてシンプルな踊りだけで6分間盛り上げてくれ!」
劇場の隅で肩を落とし、戸惑っていたサミーのもとに一人の男がやってきた。
「シナトラさんが楽屋に来てほしいそうです」
サミーは恐る恐るその楽屋のドアをノックした。
「やあサム! 久しぶりだな! お前んとこの家族はどうだい? 今日から3週間、一緒に仕事ができて嬉しいよ!」
20分後…本番のベルが鳴り、楽団の演奏と共にオーケストラ席がせり上がり、幕が上がるとシナトラがステージに立っていた。彼はまずオープニングの2曲を歌い終え、観客に向かって3人を紹介した。
「私はスリーキャッツ(3人の芸人)をここに招きました。とてつもなくスウィングする連中ですが、特に中央のキャット(芸人)に注目して下さい! ほかならぬ私の親友なんです! さあ、彼らの登場です! ウィル・マスティンの一座(ギャング)フィーチャリング・リトル・サミー!!」
彼らは6分間、全力で踊って客席を盛り上げた。サミーの得意とする物真似は披露できなかったものの、評判は上々だった。終演後、今回の依頼元でもありニューヨークの興行界大手、ロウズブッキングオフィスのトップがサミーに話しかけてきた。
「君たちトリオはいい仕事をしてるよ」
「ありがとうございます。こんなに良い機会をいただいたことに感謝してます」
「お礼なんかいらないよ。君らの契約はシナトラ本人からの強い引きがあったからね。実は私は別の芸人を推していたんだけど、シナトラが“あの家族ぐるみでやっているサムってガキを使ってやってくれ!”と聞かなかったんだ」
三週間公演の千秋楽の前日、シナトラはいつものように出演者や関係者をディナーに招待し、感謝祭を開いた。劇場の地下室のリハーサルホールをパーティー会場に模様替えして、彼の母親がいくつもの手作り料理を振舞った。
パーティーが賑わう中、サミーはシナトラのリクエストで物真似を披露することとなった。そのレパートリーの中にはシナトラの物真似をもあり、サミーは「本人を前に怒られやしないか?」と心配しながらも、思い切って演じてみせた。
「上手い! 上手い! まったく見事なもんだよ。サム、お前はどうしてそれをステージでやらないんだ? 歌も上手いし、踊るだけなんてもったいない! この三週間、お前はそんな素晴らしい芸を人前でやるチャンスを逃してしまったんだぞ!」
劇場の支配人に演し物をカットされたことを説明しても仕方なかった。翌日、最後のショーが終わり、舞台の出演者がシナトラの楽屋に挨拶に来ている間、サミーはドアの脇に立ったまま、目を閉じて思いを巡らせていた。
「フランク・シナトラというスターが、自分のためにどんなに時間を割き、力になろうとしてくれたか。自分はその期待に応えられたのか?」
最後の人が挨拶を済ませて出て行くと、サミーはドアを開けてシナトラに感謝の気持ちを伝えた。シナトラは彼をじっと見つめながらこう言った。
「それじゃな、サム! 君のためなら何でもやるぜ! 生涯の親友だ。忘れるなよサム! もし誰かが君にちょっかいを出したら、すぐにこの俺に知らせてくれ」
それから数年後…1950年代、サミー・デイヴィス・ジュニアは、フランク・シナトラが結成したグループ”The Rat Pack”(通称シナトラ一家)に参加する。
当時は公民権運動(アメリカの黒人が公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った大衆運動)が盛り上がっていた頃で、まだ黒人への差別も根深く残っていた時代だった。そんな中、サミーがシナトラ一家に加入したことは“相当な出来事”だった。
サミーは黒人に対する差別的な目を物ともせずに、シナトラが見込んだその才能溢れるパフォーマンスで、スターへの階段をいっきに駆け上っていった。
<引用元・参考文献『ミスター・ワンダフル サミー・デイヴィス・ジュニア自伝』サミー・デイヴィス・ジュニア(著)バート・ボイヤー(著)ジェーン・ボイヤー(著)柳生すみまろ(翻訳)/ 文藝春秋>

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