誰もが聴いたら忘れられないであろう、印象的なイントロから始まるイーグルスの代表曲「ホテル・カリフォルニア」。
この曲を書いたことでも知られるギタリストのドン・フェルダーは、ロックの世界に憧れるようになったきっかけとして、幼い頃にテレビで観たエルヴィス・プレスリーを挙げている。
それは1957年、人気番組の「エド・サリヴァン・ショー」に、エルヴィスが3回目の出演を果たしたときのことだ。
彼は「ハウンド・ドッグ」「ハートブレイク・ホテル」「やさしく愛して」を歌い、僕は完全にぶっ飛んでしまった。“骨盤(ベルヴィス)エルヴィス”との異名を持つそのセクシーなダンスには抗議が殺到したため、画面には上半身しか映されなかったが、あんな動きはそれまで観たことがなかった。
ラジオやレコードでエルヴィスを知った人はその音楽に衝撃を受けたが、テレビで知った人にとっては動きもまた衝撃的だった。
エルヴィスの動きといえば、ダンスが得意だったという母親さながらに腰を動かし、リズムを取りながら踵を、あるいはつま先を左右に大きく振る足の動きが印象的だ。
それにしても、エルヴィスはこうした動きをいつの間に覚えたのだろうか。
彼には下積み時代と呼べる時期がなく、デビュー以前に人前で歌った経験は数えるほどしかないし、ダンスを練習していたわけでもなかった。
さらには、音楽に対するひたむきな情熱とスターになりたいという強い野心とは裏腹に、内向的な性格で人前に立つのにも慣れていなかった。
エルヴィスの才能を見抜いてデビューさせたサン・レコードのサム・フィリップスは、第一印象について「おそらくスタジオにやってきた誰よりも、本質的に内向的な人間だった」と語っている。
エルヴィスがプロとして初めて人前で歌ったのは、「ザッツ・オールライト」でデビューしてから11日後の1954年7月30日だ。
この日、ステージに上がったエルヴィスとバンドメンバーを驚かせたのは、悲鳴を上げる女性客たちだった。デビューして間もないにも関わらず、すでにラジオを通じてファンができていたのだ。
当時のアイドルといえばフランク・シナトラぐらいのもので、アイドルという概念が今のように浸透していたわけでもなかったため、エルヴィスはいったい何が起きているのかと困惑した。
手足が震えるほどに緊張しながら歌い始めたエルヴィスだが、リズムに合わせて足首を左右に振ってみると、女性たちの悲鳴と興奮がいっそう高まるのを感じ取った。
その動きは、エルヴィスの敬愛する人気ゴスペル・グループ、ザ・ステイツメン・カルテットのバリトン担当、ジム・ウェザリントンが見せる動きだった。幼い頃に彼らのステージを観たことがあるエルヴィスは、ジムが足を動かすと観衆が盛り上がることを知っていたのだ。
どう動けば観客を熱狂させることができるのか、その点においてエルヴィスは天才的だった。経験を積み重ねる度に動きはよりダイナミックに、さらには他の黒人ミュージシャンたちのパフォーマンスも取り入れ、よりエキサイティングなものへとなっていった。
足の動きに合わせて腰を揺らし、それらが身体を伝わって上半身を躍動させる。それは例え腰から下がテレビに映っていなかったとしても、ドン・フェルダーのように、観るものに興奮をもたらすのだ。
引用元:
『ドン・フェルダー自伝 天国と地獄 イーグルスという人生』ドン・フェルダー著 山本安見訳(東邦出版)
エルヴィスのゴールデン・レコード第2集
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