「本牧メルヘン」
歌っている鹿内孝は、日劇ウエスタン・カーニバル出身のロカビリーの人気スター。曲を書いたのは、鹿内のバンド・ボーイからほどなく「ブルー・コメッツ」を率いて、GSの頂点に立つことになる井上忠夫。「本牧メルヘン」は、ロカビリーからグループ・サウンズへというポップスの流れの中に位置していた。情緒的な語感からもそれが感じられる。
本牧で死んだ子は鴎になったよ
あざやかなワンフレーズは、やはり阿久悠だった。
当時ぼくは、歌から感じられる景色が、無国籍になるように心掛けていた。この歌は横浜の本牧を舞台にして書いているが、吹く風や匂いは無国籍である。1972年に書いたものだが、1970年代の初めの頃は、寂しさと言うのが、死ぬ価値があったような時代である。僕の詞にも理由なき厭世感的な気分の詞がかなりある。あのころ、誰を恨むでも責めるでもなく、さびしさを時代の象徴のように少年たちや少女たちは胸に抱え込んでいた。
阿久はそう書いている。



この曲が世に出るまでには、いきさつがあった。
1954年のこと。韓国の作曲家、孫牧人(ソン・モギン)が、ギターを片手に大高ひさを訪ね、書きあげたばかりの曲を聴いてもらう。テイチク・レコードで、長年にわたって流行歌を書いてきたベテランの作詞家だった大高は、力強いメロディに圧倒されるが、孫の言うように、「歌詞が弱い」と感じた。「このまま日本の演歌にしてしまったら、ものまねに終わってしまう」
このとき閃いたのが、大高が戦時中繰り返し観ていた一本の映画、1937年に公開されたジャン・ギャバンの名作『望郷 ペペルモコ』だった。アルジェリアの無法地帯カスバに逃げ込んだお尋ね者、ジャン・ギャバンがカスバの路地裏をさまようという設定を、酒場女がひとり、砂漠の果てまで流れてきたわが身を呪う・・・というシーンに置き変えた歌詞が浮かんだ。
この曲は、エト邦枝という歌手で1955年に発表されるが、鳴かず飛ばず。映画の主題歌にという話もあったが、映画が製作中止となり、エト邦枝も、歌の世界から身を引くことになる。

緑川アコのカバーを皮切りに、竹腰ひろ子、沢たまき、扇ひろ子らがこぞってカバー。この年だけでなんと13人の歌手がこの曲を歌った。カバーは絶えることなく続き、青江美奈、藤圭子、八代亜紀、ちあきなおみ、さらには美空ひばりにも愛唱された。実力のある歌手にとって、つまり聴かせどころを知っている歌手にとって、これほど歌い映えする歌はなかったのだ。
緑川アコ「カスバの女」



今、時代は閉塞感に満ちている。息苦しい。出口もないし風穴さえあかない。しかし、ぼくらは、この時代の中で呼吸をして生きなければならない。かつて、日本の歌は風穴をあけるほどの力を持っていた。風穴をあけたいと思って僕らは歌を作った。
阿久悠はそう書き残している。
参考資料
「なぜか売れなかったが、愛しい歌」阿久悠著 河出書房新社刊
『人間万葉歌 阿久悠作詞集』
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