1999年12月26日、ソウルミュージック史上最高の天才と言われたカーティス・メイフィールド(享年57)がジョージア州アトランタ郊外にあるロズウェルの病院で死去した。
死因について関係者からの直接的な発表はなかったが、晩年は健康状態がかなり悪化していたと言われている。
1990年、当時48歳だった彼はニューヨークでのコンサートのリハーサル中に照明機材の下敷きになるというアクシデントで、首から下がマヒする大怪我を負い、車椅子の生活を余儀なくされる。
病院の医師の話によれば、その後糖尿病の進行により亡くなる一年前には片足を切断する手術を受けていたという。

多くのソウル系アーテイストたちがそうであるように、彼も幼い頃から教会の聖歌隊で歌っていたという。
彼の祖母は教会の説教師でゴスペル歌手だったこともあり、彼にとって教会は音楽活動の原点となった。
「私は祖母の影響で7歳の頃からゴスペルに触れていたんだ。当初は従兄弟たちや伯父と一緒にザ・ノーザン・ジュビリーズという名前のグループで歌っていました。聖職者だった祖母は“トラヴェリング・ソウル”という名前で知られていました。幼い頃に教会で聴いた音楽や聖書の言葉は私の基礎となりました。」
母親はクラシックからR&Bにいたるまでありとあらゆる音楽を好む人で、彼はゴスペルだけではなく様々な音楽に触れながら成長してゆくこととなる。
学校に通うようになり、幼い頃から歌ってきたゴスペル(宗教音楽)と地元の仲間たちとR&B(世俗音楽)を同時進行で歌い始めた彼に、大きな転機が訪れることとなる。
1957年、15歳になった彼は聖歌隊で知り合い意気投合したジェリー・バトラーとインプレッションズを結成する。
ジェリー・バトラーを中心にカーティス・メイフィールド、サム・グッデン、リチャード・ブルックス、アーサー・ブルックスの5人組みのグループで、1958年に発表したデビュー・シングル「For Your Precious Love」がいきなり大ヒットし、当時の主流だったR&Bコーラスグループの中でも頭一つ抜けた存在となる。

彼が存在感をあらわしてきたのは、グループの大黒柱だったジェリー・バトラーがソロとして独立してしまった1959年以降からのことだった。
一時はレコード会社から契約を断られるほどグループの人気は低迷してしまうが、作曲面において素晴らしい才能を発揮し始めた彼のおかげでインプレッションズは、再び上昇気流に乗り始める。
当時19歳だった彼をリードに据えた新生インプレッションズは、1961年に「Gypsy Woman」を発表し、全米シングルチャート20位、ブラックシングルチャート2位という好セールスを記録する。

そして1965年、23歳となった彼は一曲の名曲を書き上げる。
それは、黒人解放運動の強行派の中心人物だったマルコムXが暗殺され、ワシントンでべトナム戦争に反対する人々による反戦平和大行進が行われた年だった。
混乱の渦中にあったアメリカで、彼が紡いだ「People Get Ready」は、静かに人々の心に浸透していった…

同年9月に発表したソロ1tsアルバム『Curtis』は、当時人気が高まっていたジェームス・ブラウンやスライ&ザ・ファミリーストーンからの影響を大きく受け、ファンク色の強い作風となっている。

マーヴィン・ゲイが名曲「What’s Going On」を発表し、ダニー・ハサウェイがデビュー作をリリースし、ロック界ではジミ・ヘンドリックスが一世を風靡し、前出のジェームス・ブラウンやスライ&ザ・ファミリーストーンがチャートを賑わせていた時期。
それは黒人アーティスト達が活躍した“ニュー・ソウルの時代”とも呼ばれ、彼が音楽家としての才能を爆発させた黄金期と重なっていくのだった…
<引用元・参考文献『THE DIG presents シカゴ・ソウルfeaturing カーティス・メイフィールド』シンコー・ミュージックMOOK/シンコーミュージック>








