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ポール・マッカートニーがビートルズを脱退した日

2019.04.10

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1970年の4月10日、「ポール・マッカートニー、ビートルズを脱退」という記事が、イギリスのタブロイド紙デイリーミラーの一面を飾った。

これは、翌週(4/17)に発売されるポールのソロアルバム『McCartney』のプロモーション用プレスリリースで明らかになったもので、ポールが今後ビートルズとしての活動と、これまでのようにジョン・レノンと合作で曲を書く意志がないことを表明したものだった。

1956年、ジョンとポールの出会いによって始まったビートルズは、この日ポールが脱退を宣言したことで事実上解散となった。

この“脱退劇”の反響が巻き起こした宣伝効果は大きく、アルバムは非常に好調な売れ行きを見せたが、ジョンは「グループの脱退宣言をアルバムの宣伝に利用した」と言ってポールを非難した。

マスコミからは酷評する声も少なくなかったが、アメリカのビルボード誌で最高位第1位を獲得し、キャッシュボックス誌でも1位を獲得した。

この脱退については、1969年よりビートルズのビジネスマネージャーとなったアラン・クレインとの確執やジョン・レノン&オノ・ヨーコ夫妻とポールの不仲など、当時“解散の原因”が諸説囁かれた。

1966年のコンサート活動停止以降、バンドのまとまりがなくなったことが原因の一つであることは確かであった。

当時、バンドの現状を憂えたポールは、原点に戻ってコンサート活動の再開を提案したが、すでにビートルズ以外に活動の中心を移していた他の3人のメンバーが反対したという。

ポールは大いに落胆しメンバーとの考え方の違いをはっきり感じ、ビートルズの将来について悲観的になっていったのだ。

また、名実共にビートルズの“ラストアルバム”となった『Let It Be 』が、この騒動の翌月(5/8)にリリース予定されていたということも“決定的”なタイミングだった。

同年12月30日、ポールはロンドン高等裁判所にアップル社と他の3人のメンバーを被告として、ビートルズの解散とアップル社における共同経営関係の解消を求める訴えを起こした。

そして翌1971年3月12日、裁判所はポールの訴えを認め、他の3人は上告を断念したのでビートルズの解散が法的に決定された。

♪「Let It Be」/ビートルズ


let-it-be

ザ・ビートルズ『Let It Be』

(1970/EMI)



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